反発の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
1973年、世界的なオイルショックによりギリシャでもインフレ率が上昇し、反体制活動の活発化や海軍水兵の蜂起などの社会不安が発生した。とくに学生たちはアテネ大学法学部を占拠するなど、目だった行動も起こり始めた。そのためパパドプロスは国王コンスタンディノス2世が亡命先から海軍の蜂起の指示をしたということで「大統領制議会制度共和国宣言」を行い、王制の廃止を宣言、自らは対立候補のいない大統領選に出馬し、大統領に就任した。しかし、11月17日に民主化を求める学生らによる大規模なデモが発生、11月23日にアテネ工科大学(英語版)(英: Athens Polytechnic)を占拠したが(en:Athens Polytechnic uprising)、軍に蹴散らされ死者まで発生する事態にいたった。11月25日、強硬派のディミトリオス・イオアニディス(英語版)准将による無血クーデターのためにパパドプロスは解任され、実質イオアニディスによる政権に移行した。 1974年7月20日のトルコのキプロス侵攻で失策を犯したためキプロス紛争が悪化すると、軍内部でも独裁制の解消と民主主義への復帰が決定、元首相コンスタンディノス・カラマンリスがその指導者に選ばれた。1974年7月24日、亡命先のフランスから帰国したカラマンリスが首相就任の宣誓を行い、軍事独裁制に終止符が打たれた。1974年8月14日、ギリシャがトルコによる北キプロス占領への抗議からNATO軍から離脱することを発表した。
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