反発の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:07 UTC 版)
沖縄や清国といった抗議する側が反差別主義的であったかというと、実はそうではない[要出典]。たとえばこの事件に関して、金城馨は、沖縄県の人々の抗議により、沖縄県民の展覧中止が実現したものの、他の民族の展覧が最後まで続いた点に注目し、「沖縄人の中にも、沖縄人と他の民族を同列に展示するのは屈辱的だ、という意識があり、沖縄人も差別する側に立っていた」と主張している。 また清国留学生たちも「インドや琉球はすでに亡国となり、イギリスと日本の奴隷となっている。朝鮮はかつては我が国の藩属国であり、今やロシアと日本の保護国と成り下がっている。ジャワやアイヌ、台湾の生蕃は世界でも最低の卑しい人種であって禽獣に等しい。我々中国人が蔑視されるとしても、これらの民族と同列ということがあろうか」(『浙江潮』第2号、1903年)と悲憤慷慨しているように、抗議の原点は「野蛮」な他民族とひとしなみに扱われることであった。
※この「反発の構造」の解説は、「人類館事件」の解説の一部です。
「反発の構造」を含む「人類館事件」の記事については、「人類館事件」の概要を参照ください。
- 反発の構造のページへのリンク