王冠領の構成諸邦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 10:08 UTC 版)
「ハンガリー王冠領」の記事における「王冠領の構成諸邦」の解説
位置領邦首都民族宗教付記紋章 ハンガリー王国 ポジョニブダ(1784年以降) マジャール人、スロバキア人、セルビア人、ドイツ人、ルテニア人、ルーマニア人 ローマ・カトリック、カルヴァン派 1526年から1541年まで、フェルディナント1世とサポヤイ・ヤーノシュの間で王位が争われた。1541年から1699年まで、領土の大半がオスマン帝国に占領されていた。 スラヴォニア王国 オシエク クロアチア人、セルビア人 ローマ・カトリック, 正教 1526年から1699年まで、領土のほとんどがオスマン帝国に占領されていた。1868年、クロアチアと正式に合邦してクロアチア=スラヴォニア王国を形成した。 クロアチア王国 アグラム クロアチア人、セルビア人 ローマ・カトリック、正教 ハンガリー王国との間で、1097年から1918年までほぼずっと同君連合を、1867年から1918年まで国家連合を結んでいた。1868年にスラヴォニア王国と正式に合邦した。 クロアチア=スラヴォニア王国 アグラム クロアチア人、セルビア人 ローマ・カトリック、正教 1849年にクロアチアとスラヴォニアの合邦により成立。 フィウメとその属領(ドイツ語版) (リエカ) フィウメ イタリア人、クロアチア人、マジャール人 1465年にハプスブルク家が購入、1526年にハンガリー王国領となる。その後、長いあいだグラーツ市によって管理された。1779年に分離体(英語版)地区に設定された。1809年から1815年までフランス帝国属領イタリアの領土に組み込まれた。1815年にオーストリア帝国領に復帰し、1867年よりハンガリー王冠領に属する自由都市となる。その後、県(Komitat)に昇格した。 トランシルヴァニア公国 コロジュヴァール, ナジセベン ルーマニア人、セーケイ人(マジャール系)、トランシルヴァニア・ザクセン人(ドイツ系) 正教、ルター派、カルヴァン派、ローマ・カトリック 1687年にハプスブルク勢力に征服されたが、1711年まで独立の公国としての存続を許されていた。1765年に大公国に昇格した。1867年にハンガリー王国領に併合された。 バナト テメシュヴァール ルーマニア人、マジャール人、ドイツ人、セルビア人 ローマ・カトリック、正教 1526年から1718年までオスマン帝国の支配を受けていた。1718年にハプスブルク帝国領の一部となり、1779年にハンガリー王国に編入された。 セルビア・ヴォイヴォディナ=タミシュ・バナト(英語版) テメシュヴァール セルビア人、ルーマニア人、ドイツ人、マジャール人 正教 ヴォイヴォディナとバナトは、1849年にハンガリーと軍政国境地帯のセルビア人居住地域から分離され、オーストリア帝冠領の一部をなす邦を形成した。1860年にハンガリーとクロアチア=スラヴォニア王国の間で分割された。
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