オーストリア帝冠領
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オーストリア帝冠領(オーストリアていかんりょう)またはクローンラント(Kronland/Kronländer)は、オーストリア帝国の構成地域の総体、ないし1867年から1918年まではオーストリア=ハンガリー帝国の西半地域(ツィスライタニエン)の総体を指した国制概念。帝冠領はハプスブルク家が中央ヨーロッパにおいて数百年にわたって集積し、同家を統治者に戴く同君連合の関係を結んできた地域である。ハプスブルク家世襲領に組み込まれた諸邦ではすでに16世紀から国家統合への動きが始まっており、1804年のオーストリア帝国建国宣言により一応の統合が完了したと見なすことが出来る。
- 1 オーストリア帝冠領とは
- 2 オーストリア帝冠領の概要
- 3 参考文献
オーストリア帝冠領(1867年 - 1918年)
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「オーストリア帝冠領」の記事における「オーストリア帝冠領(1867年 - 1918年)」の解説
1. ボヘミア王国 2. ブコヴィナ公爵領 3. ケルンテン公爵領 4. クライン公爵領 5. ダルマティア王国 6. ガリツィア=ロドメリア王国 7. ゲルツ=グラディスカ伯爵領(諸侯領格)、イストリア辺境伯領、帝国直属都市トリエステ 8. エスターライヒ・ウンター・デア・エンス大公国 9. モラヴィア辺境伯領 10. ザルツブルク公爵領 11. オーバー・ウント・ニーダー・シュレージエン公爵領 12. シュタイアーマルク公爵領 13. チロル伯爵領(諸侯領格) 14. エスターライヒ・オプ・デア・エンス大公国 15. チロル領フォアアールベルク ハンガリー王国(16番)とクロアチア=スラヴォニア王国(17番)は1867年にオーストリア帝冠領からは離脱した。オーストリアとハンガリーが1878年から1918年まで共同管理下に置き、1908年に併合したボスニア=ヘルツェゴヴィナ(18番)もまたオーストリア帝冠領の構成地域には参加しなかった。また1852年に帝冠領に編入されたオーストリア沿海州(キュステンラント)(7番)は、1861年に3つの邦に分割されている。
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