アメンホテプ4世の神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
「カルナック神殿」の記事における「アメンホテプ4世の神殿」の解説
この地域にあったアメンホテプ4世(アクエンアテン)が建造した神殿(アテン神殿)は、中心的複合体であるアメン大神殿の東、周壁の外側に位置していた。その神殿は、アメンホテプ4世の統治前にエジプトを支配していた有力な神官を圧倒しようとした建造者アメンホテプ4世の死後、すぐに破壊された。それはまさしく徹底的に取り壊されており、その完全な範囲や構成は現在のところ明らかでない。アメンホテプ4世が死ぬと神官らは強権の地位に復帰し、数あるアメンホテプ4世の存在の記録を破壊することに尽力した。 アメンホテプ4世の神殿にある構造物は、エジプト第18王朝の王アクエンアテンが、まだ自身をアメンホテプ4世と称していた治世の当初4年間にかけて用いられたが、それらはアメンホテプ3世の治世末期に着工され、息子である将来のアクエンアテンによって完成されたとも考えられる。
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