第2塔門とは? わかりやすく解説

第2塔門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)

カルナック神殿」の記事における「第2塔門」の解説

第2塔門の正面入口左右にラムセス2世片足踏み出した2体の巨像建立され1体両足部分のみ残存する。この塔門は、第18王朝ホルエムヘブ紀元前1323-1295年頃)の統治末期着工され一部装飾施された。ホルエムヘブは塔門の内部を、以前にあった記念建造物であるツタンカーメントゥトアンクアメン紀元前1336-1327年頃)やアイ紀元前1327-1323年頃)の神殿構造物のほか、特にアメンホテプ4世アクエンアテン紀元前1352-1336年頃)の記念建造物から砂岩ブロック(タラタート(英語版))を解体し再利用した数千ブロック埋め尽くした第19王朝ラムセス1世紀元前1295-1294年頃)は、塔門にあるホルエムヘブレリーフ碑文侵害し、それらにラムセス1世自身のものを加えた。これらはその後ラムセス2世により奪われた。塔門の東(背)面は、セティ1世のもとで新たに築かれ大列柱室西壁になり、セティ1世がその列柱室を構築するとき、そこに父ラムセス1世肖像を消さなければならないことの埋め合わせとして、亡きラムセス1世讃えるいくつかの肖像加えられた。第2塔門の中央部末期王朝時代崩壊しその後プトレマイオス朝時代修復されており、プトレマイオス6世紀元前180-145年)の肖像描かれている。

※この「第2塔門」の解説は、「カルナック神殿」の解説の一部です。
「第2塔門」を含む「カルナック神殿」の記事については、「カルナック神殿」の概要を参照ください。

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