ナイル川埠頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
現代の入口は、かつて運河によりナイル川に接続していた古代のテラス(英: Terrace、またはトリビューン(英語版)、Tribune)の末端にあたる。そのため埠頭(船着場)のテラスに刻み込まれ(多くは現在侵食されて消えている)、総じてナイル川水位文書(英語版)(英: Nile Level Texts)と称される第3中間期(紀元前1069-747年頃)の第21王朝(紀元前1069-945年頃)から第24王朝(紀元前727-715年頃)の歴代の王の時代に刻まれた浸水計測記録があるが、訪問者にはほとんど知られていない。 ハコルの聖舟祠堂 古代の埠頭の傍らには、第29王朝のハコル(紀元前393-380年)の聖舟祠堂が残る。聖舟は、実際の舟(バーク)を模したもので、これを神輿として運ぶ行列の際に川を経由する聖舟のための休息所であった。 スフィンクス参道(ドロモス) ラムセス2世の構築した埠頭より第1塔門に通じ、40体の雄羊の頭を持つスフィンクス(クリオスフィンクス(フランス語版))が両側に並ぶ。当初、埠頭からは同じくラムセス2世が建立したスフィンクス参道は第2塔門への入口につながっていたが、第1塔門が構築されたときに、それらの羊頭スフィンクスは前庭の両脇に移された。
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