位置と構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
アメン大神殿の境界の外側、太陽の昇る東に構築され、そのアテン神殿複合体の主神殿は、ゲム・パ・アテン (Gm–p3–itn) と名付けられ、それは「太陽円盤は神アテンの地で見つかる」を意味する。そのほかには、フゥト・ベンベン (Hwt–bnbn) 「ベンベン石の館」、ルゥド・メヌ (Rwd–mnw–n–itn–r–nḥḥ) 「永遠に頑丈な太陽円盤記念物」、テニ・メヌ (Tni–mnw–n–itn–r–nḥḥ) 「永遠に高貴な太陽円盤記念物」と名付けられたものがあった。これらの建造物の遺構はほとんど残っておらず、それらはタラタート・ブロックを用いて手早く築かれ、そのため簡単に取り壊されて、後の構造物の建築資材として再利用された。 ゲム・パ・アテン 泥煉瓦の構内に建てられた神殿は、東を向き、西に4メートルの入口があったと考えられ、四角い柱と巨大な像に囲まれた広い中庭に通じていた。ゲム・パ・アテン (Gempaaten) の本体は天井がない中庭であったとされ、その周囲に砂岩の高さ7メートル余りの角柱からなる列柱廊があり、南側の角柱にそれぞれ背を向けたアメンホテプ4世(アクエンアテン)の巨像(英語版)が立っていた。また、発見された断片により、列柱廊の西側の輪郭沿いには王と王妃ネフェルティティの等身大の彫像が一定の間隔で並び、花崗岩の供物卓がその前に数多く置かれていたと考えられる。敷地はかなり広く、およそ130×200メートルあったが、その土台がほとんどなくなるほど完全に破壊された。 ゲム・パ・アテンを形成した3万6000個余りのタラタート・ブロックは、アメン大神殿の第2塔門や第9塔門、大列柱室など多くに再使用された。第9塔門より発見されたタラタートにはアメンホテプ4世のセド祭が描かれ、王妃ネフェルティティの姿も数多く見られる。それらはその後特定され、大きなパズルのように組み直されて、一部(長さ17.17メートル、高さ2.97メートル)がルクソール博物館(英語版)に展示されている。 フゥト・ベンベン カルナック神殿の東に建てられたフゥト・ベンベン (Hwt benben) すなわち「ベンベン石の館」は、太陽崇拝に捧げられ、ゲム・パ・アテンと密接に結びついていた。 ルゥド・メヌ ルゥド・メヌ (Rud-menu) は、テニ・メヌとともに証拠の欠如により、その位置や機能について明確ではない。 テニ・メヌ テニ・メヌ (Teni-menu) は、自国品や貯蔵室を保持したとして、王家の住居であったとも考えられるが、その機能を明確にするような構造物は残されていない。
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