王権と称号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
アルサケス朝の王権観に関する史料は、彼らが発行したコインと、ベヒストゥンにあるミトラダテス2世の碑文などがあるに過ぎない。パルニ氏族によるパルティア征服によって成立したアルサケス朝は、その合法性・正当性を確立する必要があった。初期においてモデルとなったのは先にイラン地方を支配していたセレウコス朝であった。現代の研究者の中にはセレウコス朝の場合と同じく武力によって現地を征服したという「征服の権利に基づいた合法性」によってその支配は正当化されたと推定する者が複数いる。 コインはアルサケス朝の王権を考察する上で最も有効な史料である。歴代の王は初代のアルサケス1世の名を受け継ぎ、ギリシア語でコインに称号を刻んだ。アルサケス1世はスキタイ風の帽子をかぶり、ギリシア文字で「アルサケス、アウトクラトール(自主権者、独裁者)」と記したものと、ギリシア文字で「アルサケス」、アラム文字で「Krny」と記したものの二種類のコインを発行している。 アルサケス1世の時代からミトラダテス1世の治世前半までコインの形式はほぼ同一で、銘文もただ「アルサケス」とのみ刻んだだけの物が発行されていた。しかし、大きく領土が拡張したミトラダテス1世の治世後半に入ると、王の肖像は顎鬚を蓄えた物になりギリシア語で各種の称号が刻まれるようになる。称号は、例えば「大王(ΒΑΣΙΛΕΟΣ ΜΕΓΑΛΟΥ)」、「神の化身(ΕΠΙΦΑΝΟΥΣ)」や、「救済者(ΣΩΤΗΡΟΣ)」などヘレニズムの諸王によって用いられたものが採用された。これらはセレウコス朝時代からのものを引き継いだもので、古くはアッシリアやアケメネス朝の王権観に由来するものである。また、領内の主要都市に多数居住していたギリシア人の支持を得るため、「ギリシア愛好者(ΦΙΛΕΛΛΗΝΟΣ)」という称号も用いられた。プラアテス2世のコインには「神の子(ΘΕΟΠΑΤΟΡΟΣ)」という称号も用いられた。この場合、神とされるのはプラアテス2世の父親のミトラダテス1世である。生前に王たちが神格化されていたかどうかは不明であるが、これによって死後の神格化は証明される。ヴォロガセス1世(在位:51年頃-77年頃)の時代以降、コイン表面の肖像脇にパルティア文字による銘文が出現するようになり、これは明らかにヘレニズムからの脱却傾向を示している。
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