ペロポネソス戦争からローマ帝国とは? わかりやすく解説

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ペロポネソス戦争からローマ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 11:05 UTC 版)

アカルナニア」の記事における「ペロポネソス戦争からローマ帝国」の解説

アカルナニア地方イタリアへ海路上に戦略的に位置するため、多く戦争巻き込まれた。最良の港をすべて奪ったコリントス入植者対す憎しみは、当然の帰結として、アカルナニア人をアテナイ側に追いやった。しかし後者との同盟直接の原因は、紀元前432年頃にアンブラキアから入植したコリントス人が、アンピロキア人をアンピロキア・アルゴスから追放したことによって生じたアカルナニア人は追放されたアンピロキア人を支持し後者回復を得るためにアテナイ援助申し出たアテナイ人はこれに応じて、ポルミオンの指揮のもと出兵した。ポルミオンはアルゴス占領してアンブラキア人を追放都市をアンピロキア人とアカルナニア人に戻した直ちアカルナニア人とアテナイの間で同盟正式に締結された。同盟参加しなかった都市はオイニアダイとアスタコスだけであったアカルナニア人はギリシア西部地域におけるアテナイ覇権維持するのに大い貢献した。特にアカルナニア人は前426年のオルパイの戦い英語版)においてデモステネス指揮下でその存在感見せつけ、ペロポネソス人とアンブラキアに対して大勝利した。この戦役終わりに、彼らはアテナイとの同盟関係を継続していたが、アンブラキア和平結んだ紀元前391年アカルナニア人はアイトリア地方都市カリュドン保持していたアカイア人戦争した後者アカルナニア人に強く押されていたため、スパルタ救援求めスパルタアゲシラオス2世指揮する軍隊アカルナニア派遣した後者アカルナニア地方略奪したが、アゲシラオス2世遠征長期的な結果が伴わなかった。アカルナニア都市スパルタ降伏ししばらくの間スパルタ同盟国となる一方で、前375年アテナイ第二次海上同盟英語版)に加わったアカルナニア人は後にスパルタとの戦いでボイオティア人を支持しカイロネイアの戦いではマケドニア王ピリッポス2世戦ったアテナイ支持したアレクサンドロス大王死後の時代の前314年マケドニア王カッサンドロス要請により、アイトリア地方との国境近くアカルナニア集落少数のより大きな集落集住した。それでも、アイトリア人と国境をめぐる紛争頻発し、前250年アカルナニア領土アイトリアエペイロスの間で分割された。エペイロス王が倒れた後、エペイロスとなっていたアカルナニア領土独立取り戻しレウカスはこの地域首都になったが、アイトリア人との対立残っていた。その結果アカルナニア人はマケドニアの王たちと緊密に団結し有為転変中でも忠実であり続けたピリッポス5世に対しても同様であった彼らがローマ服従したのは、主要都市であるレウカス占領されキュノスケファライの戦いピリッポス5世敗北した後のことであった。前191年シリアアンティオコス3世ギリシア侵攻すると、アカルナニア人は同胞のムナシロコスに説得されて、アンティオコス3世支持したが、彼がマグネシアの戦い敗北しギリシアから追放されると再びローマの支配下に置かれた。前168年マケドニア王ペルセウス敗北後ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスローマ委員によるギリシア情勢解決において、レウカスアカルナニア地方から分離され、テュリオンが新首都任命された。 前1世紀アカルナニア地方海賊ローマの内戦によって大きく苦しんだギリシアローマの属州として縮小されたとき、アカルナニア地方アカエア属州あるいはエピロス属州英語版)に併合されたかどうかは疑わしいが、後にエピロス一部として言及されている。その町のいくつかの住民は、アウグストゥスによってアクティウムの海戦後に建設されニコポリス英語版)に移されアカルナニア地方ニコポリス支配下置かれた。そしてアウグストゥス時代には、ストラボンによって絶え間ない戦乱のために完全に疲れ果ててしまったと説明された。

※この「ペロポネソス戦争からローマ帝国」の解説は、「アカルナニア」の解説の一部です。
「ペロポネソス戦争からローマ帝国」を含む「アカルナニア」の記事については、「アカルナニア」の概要を参照ください。

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