ペロポネソス同盟とペルシア戦争
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「スパルタ」の記事における「ペロポネソス同盟とペルシア戦争」の解説
詳細は「ペルシア戦争」を参照 第二次メッセニア戦争を戦ったテオポンポスの頃にエフォロイの制度が始まり、王権への制限は強化された。その一方で徐々にスパルタはペロポネソス半島での影響力を増やしていき、紀元前6世紀にはペロポネソス同盟を結成し、その盟主の座に就いた。 紀元前5世紀初頭の第二次以降のペルシア戦争でスパルタはアテナイと共にギリシア諸国を主導してペルシア帝国と戦った。有名な戦いはテルモピュライの戦いであり、スパルタを主力としたギリシア同盟軍は、数十倍はあるかというペルシア軍に対して奮戦した。この戦いで英雄的に討ち死にしたレオニダス1世は、その名をギリシア中に轟かせた。プラタイアの戦いでは、4万ほどのスパルタ軍が30万とも伝えられるペルシア軍を打ち破り、敗走させている。ペルシア戦争でスパルタの無敵さは世界でも通じるものであると証明し、陸上戦においてペルシア帝国の野望を何度も打ち砕いた。
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