ペロポネソス戦争とアテナイ経済圏の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:48 UTC 版)
「アテナイ」の記事における「ペロポネソス戦争とアテナイ経済圏の崩壊」の解説
陸軍大国スパルタと裕福なコリントスを中心とするペロポネソス同盟勢を敵に回したアテナイの指導者ペリクレスは籠城による長期戦を計画する。だが、籠城による人口過密からくる諸問題(都市の許容量を超えた人口の爆発的増加と治安の悪化、そして何より衛生環境の悪化による疫病の蔓延)が襲い始めた。ペリクレスは、アテナイの支配地域の農地は肥沃ではなく、食料自給率も低いので敵に農地を荒らされても食料は輸入で補えばいいという考えであったが、商工業を卑しむ傾向があったアテナイ市民には農園経営者が多く、またスパルタ軍のアテナイ領の略奪により、ペリクレスの生前より籠城の長期化による農地の荒廃に不満を抱くものが続出した。疫病に倒れたペリクレスの死後は好戦的デマゴーグが幅を利かせ、アテナイは積極策を採りペロポネソス同盟軍や離反した隷属都市との一進一退を繰り返す事になる。やがて、徒労に終わった1度目のシケリア遠征やその他多数の各地への侵略と同じ様に軽く考えて開始した2度目のシケリア遠征に国力を注ぎ込むが遠征軍は壊滅、アテナイはその国力と威信を大いに減退させた。その隙を突いたスパルタの海軍力強化、穀物の主要な輸入ルート上にあるデケレイアの占領、更にはアテナイの苛烈な政策(攻略した敵対都市の成人男子絶滅及び身分を問わない女子供の全奴隷化による都市の完全な解体や捕虜の殺害)によるラウレイオン・マロネイア両銀山における奴隷鉱夫の反乱逃亡とデロス同盟加盟国の離反によって、アテナイはその経済を支えてきた銀の生産・船舶・同盟年賦金といった全ての強みを失った。そして、紀元前405年のアイゴスポタモイの海戦でアテナイ艦隊を壊滅させてその制海権を奪い、黒海からアテナイへの穀物輸送ルートを押さえたスパルタ・コリントスなどのペロポネソス同盟海軍はアテナイの陸海からの封鎖に成功して、アテナイは飢餓状態に陥った。これによって、アテナイは降伏へと追い込まれた。
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