ペロポネソス戦争における活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:00 UTC 版)
「デモステネス (将軍)」の記事における「ペロポネソス戦争における活躍」の解説
紀元前425年、引き続きイオニア海の艦隊と行動をともにしていたデモステネスは、クレオンの命を受け、シケリア(シチリア)における反乱を鎮圧するためにアテナイから差し向けられた艦隊に加わった。ところが、嵐のために流され、ペロポネソス半島のピュロスに上陸することになった。兵士を休ませないよう、デモステネスは同地で港の城塞化を命じ、スパルタに近い場所にアテナイの強力な拠点を確保した。この間、スパルタ勢は近傍のスパクテリア島 (Σφακτηρία、Sphacteria) に部隊を上陸させたので、デモステネスはトラシュメリダス (Thrasymelidas) とブラシダスが率いるスパルタ勢の上陸侵攻を阻止するため、配下の兵たちを海岸に移動させた。スパルタ勢の上陸は撃退され、アテナイ艦隊の主力(シケリアへの航海から転進して帰路に就いていた)の到着が間に合い、スパルタの艦船を追い払った。 一方、アテナイでは、スパルタの使節団が和平交渉を試みていた。しかし、交渉は不調に終わり、クレオンは、スパクテリア島侵攻を計画していたデモステネスを支援することになった。アテナイ軍はスパクテリア島の攻略に成功し、スパルタ勢を降伏させたが、これは極めて珍しい出来事であった。(en:Battle of Pylos、en:Battle of Sphacteriaを見よ)
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