ペロポネソス戦争とギリシャの覇権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:21 UTC 版)
「スパルタ」の記事における「ペロポネソス戦争とギリシャの覇権」の解説
詳細は「ペロポネソス戦争」を参照 デロス同盟の盟主となったアテナイの強大化に伴ってアテナイとの関係は悪化し、紀元前460年から紀元前445年まで第一次ペロポネソス戦争と呼ばれる断続的な戦争状態に陥った。この戦いは30年間の休戦を条件に終わったが、その半分もいかないうちにペロポネソス戦争が勃発した。戦争はギリシア中を巻き込んだ大戦となったが、籠城戦を選択したアテナイに疫病が蔓延したこともあり、前404年にスパルタが勝利した。それによって、スパルタはギリシアの覇権を獲得した。 しかしその勝利によって流入した海外の富が突然の好景気をスパルタにもたらしたことにより、質実剛健を旨とするリュクルゴス制度は大打撃を受け、市民の間に貧富の差が生じた。その結果、スパルタ軍は団結に亀裂を生じて弱体化した。 紀元前395年、スパルタに対してアテナイ、アルゴス、テバイらが挑戦し(コリントス戦争)、両陣営は一進一退の攻防を繰り広げたが、ペルシア王アルタクセルクセス2世の仲介のもと、アンタルキダスの和約(大王の和約とも)によって戦争は終わったが、スパルタは海上の覇権をアテナイに引き渡した。 その後、エパメイノンダスとペロピダスに率いられたテバイとの対立が激化した。紀元前371年のレウクトラの戦いで、エパメイノンダスに率いられたテバイ軍に、クレオンブロトス1世率いるスパルタ軍は敗れた。ここでスパルタはギリシアにおける覇権を失った。
※この「ペロポネソス戦争とギリシャの覇権」の解説は、「スパルタ」の解説の一部です。
「ペロポネソス戦争とギリシャの覇権」を含む「スパルタ」の記事については、「スパルタ」の概要を参照ください。
- ペロポネソス戦争とギリシャの覇権のページへのリンク