ミラノの5日間とは? わかりやすく解説

ミラノの5日間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 13:18 UTC 版)

ミラノの5日間
第一次イタリア独立戦争中

バルダッサレ・ベラッチの「5日間の出来事」(1819年 - 1886年)
1848年3月18日1848年3月22日
場所 ミラノロンバルド=ヴェネト王国
結果 ミラノ側の勝利
衝突した勢力
ミラノ反乱軍 オーストリア帝国
指揮官
アウグスト・アンフォッシ
ジュゼッペ・ブロッジ
ルイジ・トレッリ
ルチャーノ・マナラ
ヨーゼフ・ラデツキー
戦力
不明 14,000、2,500人のイタリア同盟軍を含む
被害者数
600人死亡 600人死亡

ミラノの5日間(イタリア語:Cinque giornate di Milano)は、ミラノで起こったオーストリア支配に対する反乱である。第1次イタリア独立戦争イタリア語版フランス語版英語版(→イタリア統一運動)の主要因となった。

概要

1848年革命の影響を受け、オーストリア帝国宰相メッテルニヒが失脚すると、帝国の構成国ロンバルド=ヴェネト王国の一部であったミラノ3月18日ヨーゼフ・ラデツキー率いるオーストリア軍に対して蜂起した。

事の発端は些細なものであった。タバコと砂糖の増税に対してミラノ市民はタバコをボイコットしていた。ところがあるオーストリア軍兵士がミラノ市民の顔めがけてタバコを投げて挑発し、怒って彼からタバコを奪って投げ捨て逃走しようとした市民を、他のオーストリア人が妨害したのがきっかけだった。

反乱は瞬く間に広がってオーストリア軍は撤退し、カルロ・カッターネオの精神を受け継ぎ、ミラノ市長であったガブリオ・カザーティを首班とするロンバルディア臨時政府が成立した。しかし、7月25日クストーザの戦いでオーストリアがサルデーニャに勝利すると8月5日にミラノは陥落、臨時政府は解散させられ、オーストリアに再併合された。


ミラノの5日間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:33 UTC 版)

ガブリオ・カザーティ」の記事における「ミラノの5日間」の解説

1848年には、煙草への課税などに反発した民衆メッテルニヒ失脚知りオーストリア帝国支配から脱するための「ミラノの5日間」が発生する当初、カザーティは戦争にさほど積極的ではなかったものの、カルロ・カッターネオエンリコ・チェルヌスキらが戦争評議会設立しオーストリア帝国相手組織的な抵抗開始すると、方針切り替える。そして設立された「ミラノ臨時政府」(のちに領域大幅に拡大しロンバルディア臨時政府」となる)の議長となって戦争主導的役割果たした。 ミラノの5日間では、臨時政府だけではオーストリア帝国には対抗できない判断してサルデーニャ王国との合併模索しカルロ・アルベルトチェザーレ・バルボヴィンチェンツォ・ジョベルティなどと接触した一方でサルデーニャ王国拡大主義否定するカルロ・カッターネオジュゼッペ・フェッラーリエンリコ・チェルヌスキなどとは意見対立する結果となった1848年5月12日臨時政府ではロンバルディアサルデーニャ王国への併合是非を問う住民投票が行われ、カルロ・カッターネオなどの反対ありながら併合が決まる(「融合 fusione」と呼ばれる)。同年7月27日ロンバルディア地方サルデーニャ王国併合される。カザーティは併合されていた1848年7月27日から8月15日20日間、サルデーニャ王国首相に就任して対オーストリア戦(第一次イタリア独立戦争イタリア語版フランス語版英語版))を指揮した。 しかし、サルデーニャ王国単独ではオーストリア帝国相手では不利であり、各戦闘敗北が続くとカルロ・アルベルトサラスコ休戦イタリア語版)と呼ばれる休戦協定結んだ。これは第一次イタリア独立戦争イタリア語版フランス語版英語版)の事実上敗戦を示すもので、カザーティはこれを認めず8月15日サルデーニャ王国首相辞任した。なお、歴代サルデーニャ王国首相の中で、20日という在任期間は最も短いものであった敗戦後ロンバルディアオーストリア帝国領に復帰し、カザーティはフランスリヨンへの亡命した

※この「ミラノの5日間」の解説は、「ガブリオ・カザーティ」の解説の一部です。
「ミラノの5日間」を含む「ガブリオ・カザーティ」の記事については、「ガブリオ・カザーティ」の概要を参照ください。

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