第七次イゾンツォの戦いとは? わかりやすく解説

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第七次イゾンツォの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 14:16 UTC 版)

第七次イゾンツォの戦い

第十一次までのイゾンツォの戦いの戦況図
戦争第一次世界大戦
年月日:1916年9月14日 - 9月17日
場所:イゾンツォ川、西スロベニア
結果:オーストリア=ハンガリー軍の勝利(イタリア軍攻勢失敗)
交戦勢力
イタリア王国 オーストリア=ハンガリー帝国
指導者・指揮官
ルイージ・カドルナ フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ
スヴェトザル・ボロイェヴィッチ 
戦力
歩兵240大隊
大砲1,150門
歩兵150大隊
大砲770門
損害
死傷者数17,000人 死傷者数15,000人
イタリア戦線

第七次イゾンツォの戦い(Seventh Battle of the Isonzo)とは、第一次世界大戦中のイタリア戦線で、イタリアとオーストリアの間で発生した戦い。11回のイゾンツォ攻勢で最も短く、3日間しか行われなかった。

戦闘前

1916年9月14日から17日から戦われた第七次イゾンツォ攻勢は、最初から短期的な作戦として立案された。ルイージ・カドルナ将軍はゴリツィア橋頭堡を強化する為、ゴリツィア市外周部の北東部に対して攻撃を行った。

戦闘開始

戦いは先の第六次イゾンツォの戦いの様に大きな勝利に結び付く事はなかった。3日後に攻撃は終わったが、それでもイタリア陸軍の砲兵隊はオーストリア軍の陣地に的確な攻撃を行い、彼らの戦力を磨り減らした。戦いも佳境に入り始めたこの頃、イタリア陸軍の人海戦術による消耗戦が漸く効果を上げはじめたのである。オーストリア軍は深刻な戦力不足に苦しみ始め、ドイツ軍に救援要請を繰り返す様になった。

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