イタリア独立運動
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1848年3月の「ミラノの5日間」に際してモンツァでも蜂起が行われ、オーストリア軍を放逐した。モンツァの独立派はレッコの人々と合流してミラノのポルタ・トサでの戦闘に加わった。第一次イタリア独立戦争終息後の1849年、ヨーゼフ・ラデツキー将軍とマクシミリアン大公(フランツ・ヨーゼフ1世の弟、のちのメキシコ皇帝)が王宮の住人となった。この動乱でも重要視された大聖堂の宝物をラデツキーは1849年にマントヴァに移しているが、同じ年のうちにモンツァに戻っている。 1859年の第二次イタリア独立戦争により、ロンバルディア全域はサルデーニャ王国に割譲された。しかし、鉄王冠をはじめとする宝物はオーストリアの手によってヴェローナに、次いでウィーンに運び去られた。これらが再びモンツァに戻るのは、第三次イタリア独立戦争後の1866年12月6日である。これ以後、鉄王冠は2度の例外を除いてモンツァにある。一度は1878年にローマに移されヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の棺の上に置かれたとき、いま一度は第二次世界大戦時にヴァチカンに移された時である。
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