イタリア王国による併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:27 UTC 版)
「トリエステ」の記事における「イタリア王国による併合」の解説
トリエステはトレントと共に、歴史的にイタリア人が暮らしてきたとする全ての土地をイタリアへ併合するという、未回収のイタリア回復運動の中心地であった。第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国は瓦解し、トリエステは1920年にヴェネツィア・ジュリア全体と一緒にイタリアへ併合された。 しかし、この併合によってトリエステの重要性が失われた。また、トリエステは国境の町となったが、新たな国境は後背地をトリエステから分断することになった。 当時人口の25%を占めていたスロヴェニア人は、ファシスト政権の台頭によって迫害を受けた。これが市内部の緊張時代を招き、1920年4月13日、その頂点に達した。イタリア愛国主義者集団が、トリエステ在住スロヴェニア人の文化センターとなっていたナロドニ・ドムへ放火・炎上させたのである。
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