アルジェリア戦争、スターリン批判
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「フランソワ・シャトレ」の記事における「アルジェリア戦争、スターリン批判」の解説
シャトレはアミアンのリセに就任したときにフランス共産党に入党した。これは1948年に哲学者コルネリュウス・カストリアディスとクロード・ルフォールによって結成された革命的マルクス主義のグループ「社会主義か野蛮か(フランス語版)」に参加するためであったが、パリに戻ってからは、研究・教育活動と並行して、作家・哲学者のラファエル・ピヴィダル(フランス語版)、人類学者・民族学者ピエール・クラストル、リュシアン・セバーク、哲学者・精神分析家のフェリックス・ガタリらソルボンヌ大学を拠点とするマルクス主義知識人と活動を共にし、アルジェリア戦争、1956年のソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフ報告(スターリン批判)とハンガリー動乱におけるソ連軍の介入といった一連の事件に対する共産党の方針に真っ向から反対した。実際、共産党は植民地主義を批判し、アルジェリアの独立を主張する唯一の政党であったにもかかわらず、フランスの植民地主義的支配を廃絶し、アルジェリアが主権国家を建設することを明確に支持したわけではなく、スターリン批判についてもその正当性を認めることに終始していた。 同様に、1956年には、同じマルクス主義の哲学者ヴィクトル・ルデュック、アンリ・ルフェーヴルとともに、共産党のソ連支持・アルジェリア戦争政策に反対して「レタンセル(L’Étincelle、火花)」グループを結成し、機関誌『レタンセル』を創刊。ミシェル・シテ(Michel Cité)の偽名で寄稿した。レタンセルの活動は、グループの一員ジェラール・スピツェール(フランス語版)を介して、直接または地下組織「ジャンソン機関」を介してアルジェリア民族解放戦線(FLN)を支援したドゥニ・ベルジェ(フランス語版)、フェリックス・ガタリ創刊の月刊誌『共産主義の道(Voie communiste)』の活動につながった。 1957年以降、シャトレは民族解放戦線支援のために奔走した。同年、歴史学者のピエール・ヴィダル=ナケが、25歳のアルジェリア共産党員・独立運動家で数学者のモーリス・オーダンがフランス軍に拷問され、失踪した事件について真相究明を求める「オーダン委員会」を結成した。委員会にはアンドレ・ブルトン、ジャック・ベルク(フランス語版)、ジャン=マリー・ドムナック、マルグリット・デュラスらの知識人が多数参加し、1960年9月6日には「アルジェリア戦争における不服従の権利に関する宣言」と題する左派知識人「121人のマニフェスト(フランス語版)」が発表された。これは「アルジェリア戦争を合法的な独立闘争であると認め、フランス軍が行っている拷問を非難し、フランス人の良心的兵役拒否者を政府が尊重することを政府と市民によびかける公開状」であり、さらに125人の署名を得て大規模な運動に発展した。「121人のマニフェスト」にはオーデン委員会の委員のほか、アンドレ・マンドゥーズ、アルチュール・アダモフ、ロベール・アンテルム、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・ブランショ、ジャン=ポール・サルトル、アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、クロード・ランズマン、アラン・レネ、エドゥアール・グリッサン、ミシェル・レリス、シモーヌ・シニョレ、クロード・ロワ、フランソワーズ・ドボンヌ、ジャン=ピエール・ヴェルナン、モード・マノーニ、アンリ・ルフェーヴル、ミシェル・ビュトール、アンドレ・マッソン、ジャン=フランソワ・ルヴェル、ダニエル・ゲランらが署名し、シャトレ、ギー・ドゥボール、ローラン・シュヴァルツ、フランソワ・トリュフォー、フランソワーズ・サガンらはマニフェスト発表後に署名した。 ソルボンヌ大学哲学研究所の図書館で行われた会合で、労働インターナショナル・フランス支部(SFIO)の議員フランソワ・タンギー=プリジャン(フランス語版)の娘で哲学教員のミレイユ・プリジャン(フランス語版)に出会い、1958年に再婚した(1968年に離婚)。1959年に共産党を離党し、1960年に結成された統一社会党に入党したが、まもなく離党。以後、政党との関わりは一切断ち、アルジェリアの歴史学者で民族解放戦線の活動家モハメド・ハルビ(Mohammed Harbi)を亡命させてかくまうなど、民族解放戦線がフランス本土で結成した「FLNフランス連合会(Fédération de France du FLN)」の活動を支援した。 一方、スターリン批判以降、マルクスを新たな視座で捉え直す動きが生まれ、1956年にエドガール・モラン、コスタス・アクセロス、コレット・オードリー(フランス語版)、ロラン・バルト、ジャン・デュヴィニョー(フランス語版)、フランソワ・フェイトらによってマルクス主義の哲学雑誌『アルギュマン』が創刊された。1962年に終刊となったが、シャトレは同誌に寄稿した論文をもとに博士論文を執筆した。
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