アルジェリア北東部オーレス山地での調査
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「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事における「アルジェリア北東部オーレス山地での調査」の解説
1934年、恩師モースの勧めに従い、ロンドンに拠点を置くアフリカ言語・文化国際協会の奨学金を受けてアルジェリア北東部のオーレス(フランス語版)山地で調査を行うことになった。これはトロカデロ民族誌博物館(フランス語版)(人類博物館の前身)の北アフリカ・近東部門の責任者であったテレーズ・リヴィエール(フランス語版)との共同研究であり、二人はオーレス山地に暮らすベルベル人の生活文化について調査するためにそれぞれ別の部族の集落に滞在した。ティヨンはアフマル・カドゥー山岳地帯の小村に住む半農半牧部族アフ・アブデルラフマンのもとで暮らし、特に彼らの家族関係について詳細な調査を行った。この調査は1940年まで4度にわたって行われることになる。 この間、パリに戻ったときにはモースの人類学の講義のほか、古書体学(パレオグラフィー)のジャン・マルクスや宗教学者・イスラム学者ルイ・マシニョン(フランス語版)の講義を聴講し、ベルベル語の語学力向上のために東洋語学校(フランス国立東洋言語文化研究所)に学んだ(1942年に学位取得)。1938年、学術誌『アフリカ』に最初の論文「オーレス山地南部のベルベル社会」を発表した。翌39年に高等研究実習院に論文「ベルベル共和国の形態 ― オーレス山地南部の遊牧民アフ・アブデルラフマン」を提出して修士号を取得し、同年8月に国立科学研究センター (CNRS) の研究員に就任した。
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