アルジェリア三部作、アルジェリア独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 16:11 UTC 版)
「ムハンマド・ディブ」の記事における「アルジェリア三部作、アルジェリア独立戦争」の解説
1952年に故郷トレムセンに戻り、処女作『大きな家』を(ケロールの紹介で)スイユ社から発表。翌1953年に35歳以下の若手作家・芸術家に与えられるフェネオン賞(フランス語版)を受賞した。この作品は、1954年と1957年に同じくスイユ社から刊行された『火災』、『織り機』とともに第二次大戦中の1939年から1940年のトレムセンを舞台とし、少年オマルを主人公とする自伝的小説「アルジェリア三部作」を成す。アルジェ近郊アイン・タヤ(フランス語版)の農業労働者のストライキに取材した第二作『火災』は、民族解放戦線(FLN)が蜂起し、アルジェリア独立戦争が勃発した1954年11月1日の数か月前に発表された予見的な作品であり、第三作『織り機』は独立戦争のさなかに発表された作品だが、作品ではそうした背景に直接触れることなく、トレムセンの人々の生活・労働環境を通して国民意識の高まりを描いている。『織り機』はフランス共産党中央委員会の委員で、『レットル・フランセーズ』(第二次大戦中に共産党員のジャック・ドクール(フランス語版)と言語学者・文芸評論家のジャン・ポーランによって対独レジスタンスの文学雑誌として創刊・地下出版された文学雑誌)の編集長であった作家ルイ・アラゴンに激賞された。だが、アルジェリア共産党からは批判を浴びることになった。というのも、1930年代に社会主義リアリズムに傾倒したアラゴンも、直接スターリンを批判しないまでも、1957年に発表した『未完の物語』では、スターリン批判がアラゴンに与えた深刻な打撃、動揺、苦悩、自己批判を表わしていたのに対して、アルジェリア共産党もフランス共産党もいまだ社会主義リアリズムあるいはジダーノフ批判の基準で文学作品を評価していたからである。 アルジェリア独立戦争勃発後、ディブはアルジェリア人とフランス人200人が「両国民の歩み寄りのために」発表した「アルジェリアの友愛」宣言に署名した。彼は作品発表後も生計を立てるために仕事を続けていたが、フランスで評価されたアルジェリア三部作と共産党の活動のために、植民地当局の監視を受けるようになった。フランスでは共産党がアルジェリアの独立を支持する唯一の政党であったからである。1959年末にディブは共産党活動のために植民地当局により国外追放された。
※この「アルジェリア三部作、アルジェリア独立戦争」の解説は、「ムハンマド・ディブ」の解説の一部です。
「アルジェリア三部作、アルジェリア独立戦争」を含む「ムハンマド・ディブ」の記事については、「ムハンマド・ディブ」の概要を参照ください。
- アルジェリア三部作、アルジェリア独立戦争のページへのリンク