アルジェリアのイスラーム化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:46 UTC 版)
「アルジェリアの歴史」の記事における「アルジェリアのイスラーム化」の解説
7世紀末から8世紀初頭にかけてイスラム教国のウマイヤ朝が征服したイフリーキヤ(現在のチュニジア)方面からアルジェリアに侵入した。アラブ人の侵入によって土着のベルベル人たちはイスラム教に改宗し、住民のアラブ化が進んだ。以後この地はイスラム世界の一部となった。アッバース朝の衰退の後、東部はカイラワーンのアグラブ朝やマフディーヤのファーティマ朝の支配を受けた。一方南西部のサハラ地帯では、806年/807年にシジルマサにハワーリジュ派のミドラール朝が成立した。南部のターハルトにも、761年にペルシア系のイブン・ルスタムが同じくハワーリジュ派のルスタム朝を開いた。ルスタム朝はイマームの称号を採用し、サハラ交易によって栄え、君主がペルシャ系であったことからメソポタミアからペルシャ人の移住が行われた。ルスタム朝は909年にファーティマ朝によって滅ぼされるまで同地を支配した。 1015年にカビール地方を拠点にハンマードがズィール朝から独立し、ハンマード朝が成立した。11世紀にはアラブ系ヒラール族のベルベル人集中地域への侵入により、ベルベル人のアラブ化が加速した。ハンマード朝は部族民から逃れるため、1090年にビジャーヤに遷都した。その後ムラービト朝、ムワッヒド朝といったベルベル人のイスラーム王朝がアルジェリアを支配した。両王朝では学芸が栄え、統治下のアル=アンダルスではイブン・ルシュドなどの知性を輩出した。
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