アルジェリアでの少年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 20:25 UTC 版)
「ピエール・ラビ」の記事における「アルジェリアでの少年期」の解説
アルジェリアはベシャールの近く、ケナサのオアシスにあるムスリムの家庭で1938年に生まれた。4歳の頃、母を結核で亡くした。また、兄弟達はベシャールやケナサにて生活していた。父は鍛冶職人で音楽家、また詩人でもあった。そして彼が5歳の時、父によって南オランの炭鉱に働きにきていたフランス人夫婦へと預けられた。夫はドゴール派のエンジニアで、妻は教師であった。後に、実の父はアトリエの閉鎖および炭坑務めを余儀なくされた。そして、このことが彼の思想に影響を与えた。 若かりしピエール・ラビはケナサを離れ、養父母とともにオランへと移った。そこで2年間の中等教育を受けた。16歳の時、キリスト教に改宗し、ピエールという名前を受け取った。歯科で勤め、銀行員としても働いた。1954年にアルジェリア戦争が勃発した際、彼は二重の追い出しという憂き目にあった。ひとつは改宗したことによる生みの父親との仲違いによるもので、もう一つは当時のフランス陸軍元帥であったアルフォンス・ジュアンを避難したことにより養父が彼を閉め出したことによるものであった。それから、彼が特定の宗教に繋がりをもはや感じないと宣言してからというもの、彼の思想に関する精神的な側面が深く広がっていった。
※この「アルジェリアでの少年期」の解説は、「ピエール・ラビ」の解説の一部です。
「アルジェリアでの少年期」を含む「ピエール・ラビ」の記事については、「ピエール・ラビ」の概要を参照ください。
- アルジェリアでの少年期のページへのリンク