アルジェリアのサガン
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「アシア・ジェバール」の記事における「アルジェリアのサガン」の解説
ジェバールが処女作『渇き』を発表したのは1957年、まだ高等師範学校の学生であった20歳のときのことである。彼女はこのとき初めてアシア・ジェバールという筆名を使った。「アシア(Assia)」は「慰め(consolation)」または「慰める女性(celle qui console)」、「ジェバール(Djebar)」は「誇り(fierté)」、または「非妥協、一徹さ(intransigeance)」の意味である。 『渇き』は奔放な若いアルジェリア女性ナディアを主人公とする小説であり、3年前(1954年)に発表されて大きな反響を呼んだフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』の主人公セシルの生き方に共通するところがあることから、ジェバールは「北アフリカのフランソワーズ・サガン」、「アルジェリアのサガン」と称されることになった。『渇き』は好評を博し、早くも翌1958年に英訳が『悪戯(The Mischief)』として刊行されたが、作品の文学的な価値とは別に、アルジェリア戦争のさなかにこのような小説を書いたことに対する道徳的な観点からの批判もあった。実際、フランス語アルジェリア作家の第一世代を代表するムールード・フェラウンの『貧者の息子』(1950年刊)、ムールード・マムリの『忘れられた丘』(1952年刊)、ムハンマド・ディブの『大きな家』(1952年刊)、カテブ・ヤシーンの『ネジュマ』(1956年刊)はすべて植民地主義の問題を描いた作品であった。 ジェバールは1958年に同じくアルジェリアの若い女性たちを描いた『待ちきれない者たち』、アルジェリア独立直後の1962年に『新世界の子どもたち』を発表した。『新世界の子どもたち』はこの続編とされる1967年発表の『うぶな雲雀たち』とともにアルジェリア独立に対する女性たちの貢献、そしてこの過程における女性解放運動の起こりを描いた作品である。
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