アルジェリアのマジック対決
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「ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダン」の記事における「アルジェリアのマジック対決」の解説
1850年代のフランス領アルジェリアでは、イスラム教の一派である聖者崇拝思想(マラブーティズム)勢力が大道芸的な「奇跡」を見せる事で大衆を扇動し、武装蜂起寸前の状態となっていた。フランス政府は軍事的に対応するよりも、マラブーが見せるトリックが見劣りするような腕前を持つマジシャンを送り込み、マジック対決を行うことが良策と考えた。 1856年にウーダンは政府からの要請でアルジェリアに渡り、当地の有力者や一般客が集う中、電磁気を利用した最新のステージマジックを披露した。観客はウーダンのマジックに魅了されたが、その中のひとりである有力シャイフボウ・アレムはウーダンを自宅に招き、特別公演を依頼した。ウーダンはシャイフの部下たちの前でマジックを披露し喝采を受けたが、屈辱を感じたシャイフ配下のマラブーはウーダンは詐欺師であると非難し、銃による決闘を申し込んだ。ウーダンはこれを受諾したが、決闘用の弾を偽の弾丸にすり替えるため、口実を付けて決闘を翌日に引き延ばした。翌日、決闘の場でマラブーの放った弾丸を歯で咥えて受け止める弾丸受け止め術を披露し、マラブーに敗北感を与える事に成功した。一連のマジック対決によって影響力の低下を悟ったマラブーは蜂起を断念し、ウーダンは褒賞として装飾を施した巻物を贈られた。帰国後、引退したウーダンは記憶を頼りにアルジェリア旅行記を著した。 このエピソードは中島らもの小説「空のオルゴール」や日本で公開された映画『トリック劇場版』でも語られたが、真意は定かではない。
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