アルジェリアとスエズ (1950年代)
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「ヘリボーン」の記事における「アルジェリアとスエズ (1950年代)」の解説
1954年、フランス領アルジェリアで民族解放戦線およびその軍事部門としての民族解放軍が組織され、独立戦争が始まった。同地は、国土の大部分をサハラ砂漠が占める乾燥した平原地帯だが、北部では海岸と平行してアトラス山脈が走り、また南東部にもホガール山地などの山地・高原が広がるという、ヘリコプターの特性を活かしやすい地勢であった。このため、フランス軍はパイアセッキH-21やシコルスキー S-58などのヘリコプターを前例がないほど大量に投入し、アグーネンダの戦いにみられるように、ヘリボーン戦術を展開した。 アルジェリア戦争では、本格的な武装ヘリコプターが登場した。下記の通り、部隊が降着する瞬間が最も脆弱になることから、このときに火力支援を提供することで、単なる空中機動に留まらず、敵前での空中強襲作戦が可能となった。また山地では、民族解放軍が多数の洞窟陣地を構築していたことから、SS.11対戦車ミサイルを国産のアルエット IIに搭載して実戦投入し、対戦車ヘリコプターの嚆矢ともなった。 また1956年の第二次中東戦争では、イギリス海兵隊により、史上初めてヘリボーン戦術による水陸両用作戦が実施された。11月6日、コマンドー母艦「オーシャン」、「シーシュース」から発進したウェストランド ホワールウィンドおよびブリストル シカモアなどヘリコプター22機により、89分間で415名の海兵隊員および23トンの物資が揚陸されて、ポートサイドを確保した。米ソの介入により、戦争目的そのものは達成されなかったものの、へリボーンの新しい可能性が示された。アメリカ海兵隊でも、朝鮮半島での実績に基づいてヘリコプター戦力の拡充を続けており、1958年3月には、上陸演習「ラントフィブエックス-58」で、2隻の空母から1個増強海兵連隊をヘリボーン揚陸するという大規模な実験を成功させた。
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