アルジェリア問題の清算とアフリカ政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:29 UTC 版)
「フランス第五共和政」の記事における「アルジェリア問題の清算とアフリカ政策」の解説
1962年、第五共和政発足の一因となったアルジェリア独立戦争は、FLNとのエヴィアン協定を結び、アルジェリアの独立を承認し終戦を迎える。しかしこれは当初、「フランス人のアルジェリア」を標榜し、植民地維持を期待してドゴールに投票したアルジェリアのフランス人植民者たちの期待を裏切ることとなる。また、このアルジェリア独立を境に、フランス領の他のアフリカ諸国も同様に独立の動きを見せ始める。これに対してド・ゴールは、植民地諸国に完全な自治権を認めるが防衛・外交・通貨はフランスが支配する「フランス共同体」構想を提案し、ギニアを除く全ての植民地が一時は受諾するも、ギニアの反対と独立を境に、アフリカの植民地諸国は再び独立運動を加速させ、1960年にはサハラ以南のフランス植民地全てが独立を達成した。
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