アルジェリア戦争、オーダン事件
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「ピエール・ヴィダル=ナケ」の記事における「アルジェリア戦争、オーダン事件」の解説
アルジェリア戦争 (1954-1962) 下の1957年、ヴィダル=ナケは、当時25歳のアルジェリア共産党員、独立運動家で数学者のモーリス・オーダンがフランス軍に拷問され、失踪した事件について真相究明を求める委員会「オーダン委員会」を結成した。翌1958年には著書『オーダン事件』を発表(1989年に増補新版)。併せて、証拠として収集した記事や資料を掲載した『証言と資料』を発行し、1960年にはジャーナリストのロベール・バラ、ポール・ティボーらの協力を得て『証言と資料』続編の『ヴェリテ=リベルテ(真実・自由)』を発行した。同年、「アルジェリア戦争における不服従の権利に関する宣言」と題する「121人のマニフェスト(フランス語版)」― アルジェリア戦争を合法的な独立闘争であると認め、フランス軍が行っている拷問を非難し、フランス人の良心的兵役拒否者を政府が尊重することを政府と市民によびかける公開状 ― に署名し、9月6日に『ヴェリテ=リベルテ』誌に掲載した。さらに、1962年には著書『レゾン・デタ(国家理由)』を発表し、アルジェリア戦争下で民族解放戦線 (FLN) の活動家らに対して行われたフランス軍の拷問を告発した。 2018年9月13日、エマニュエル・マクロン大統領は、モーリス・オーダンは拷問中に死亡、あるいは処刑されたと発表。背景には治安部隊による反体制派「容疑者」の逮捕・拘禁を認めた法制度があったとし、歴代大統領で初めて、植民地の「汚い戦争」で組織的な国家責任に踏み込んだ発言をした。さらに、独立戦争中に失踪した大勢のフランスとアルジェリアの民間人と兵士に関するフランス当局の資料を公開する意向を示した。アルジェリア独立戦争・植民地主義専門の歴史学者シルヴィ・テノは、『ル・モンド』紙に掲載された「やっと国が責任を認めた」と題する記事で、「責任性を希釈化しても消却できるものではない。犯罪人の懲罰を得るためではなく、真実を正面から見ることができることによって過去を清算できるのである」というヴィダル=ナケの言葉を引用している。
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