アルジェリア旅行・イタリア旅行(1880年代初頭)
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「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「アルジェリア旅行・イタリア旅行(1880年代初頭)」の解説
1881年初頭から、経済的危機を脱したデュラン=リュエルが、ルノワールの作品を定期的に購入し始めた。ルノワールは、この年3月から4月にかけて、アルジェリアに旅行した。ここでドラクロワを魅了した色彩豊かなオリエントに惹かれ、ドラクロワに倣い、『モスク』を描いた。ルノワールは、旅行先のアルジェから、デュラン=リュエルに宛てて、サロンに応募する理由について次のように書いている。 私がなぜサロンに作品を送るのか、あなたに説明しようと思う。サロンを通さずに絵画と結びつき得る美術愛好家はパリには15人もいない。サロンに入選しない画家の作品を1点も買おうとしない人は15万人はいます。これが、毎年少なくとも2点の肖像画をサロンに送っている理由です。 同年(1881年)夏には、ヴァルジュモンにあるポール・ベラールの別荘で過ごし、近くのプールヴィル(英語版)、ヴァランジュヴィル=シュル=メール、ディエップを訪れた。1881年のサロンは、アカデミーからフランス芸術家協会に移管されて初めてのサロンであった。ルノワールは、『ピンクと青、カーン・ダンヴェール家のアリスとエリザベート』と肖像画1点を入選させた。第6回印象派展には参加していない。かつての印象派グループは、ピサロを中心としたグループ、ドガを中心としたグループ、そして今や印象派展を離脱してサロンに戻ったルノワール、モネ、シスレー、セザンヌらのグループの三つに分裂していた。 同年(1881年)10月、ルノワールは、突然イタリアに旅立ち、まずヴェネツィアに滞在した。その地から、シャルパンティエ夫人に、「私はラファエロの作品を見たいという願望に取り憑かれました。」と書いている。そして、11月21日には、ナポリからデュラン=リュエルに、「私はローマでラファエロの作品を見てきました。非常に素晴らしい。私はそれをもっと早く見ておくべきでした。……私は油彩画ならドミニク・アングルが好きです。しかしラファエロのフレスコ画には、驚くべき単純さと偉大さがあります。」と書き送っている。ルノワールは、当初は、ラファエロを模倣するアカデミズム絵画を侮蔑しており、冷やかしのために見に行ったようだが、ローマのバチカン宮殿「署名の間」やヴィラ・ファルネジーナの『ガラテアの勝利』を見て感動した。なお、この時のイタリア旅行には、アリーヌ・シャリゴも同行した。カプリでアリーヌをモデルにして制作した『ブロンドの浴女』の左手薬指には、指輪がはめられている。 1882年1月には、友人から紹介状をもらってパレルモで作曲家リヒャルト・ワーグナーに会い、短時間でその肖像画を描いた。その後、パリに戻る予定を変更し、マルセイユ郊外のエスタックにポール・セザンヌを訪ね、共に制作した。2月初め、エスタックで風邪を引いて肺炎を起こし、療養した。そのような折、カイユボットとデュラン=リュエルから、第7回印象派展への参加を促す手紙が届いた。ルノワールは、デュラン=リュエルに次のように回答している。 あなたがお持ちの私の絵はあなたのものです。それらの絵をあなたが展示するのを妨げることはできません。しかし、展示するのは私ではありません。……もちろん私はどんなことがあっても、ピサロとゴーギャンの結託には関与しませんし、一時といえども独立派(アンデパンダン)と呼ばれるグループに含まれることは受け入れられません。 第7回印象派展は、内紛の末、デュラン=リュエルが仲介して1882年3月に開催にこぎつけたが、出品作品の大半がデュラン=リュエルの所蔵品であった。ルノワールの出品作は、デュラン=リュエルが選定した25点で、うち9点がヴェネツィアやアルジェ、セーヌ川の風景画、5点が静物画、その他は風俗画である。批評家フィリップ・ビュルティは、ヴェネツィアとアルジェの太陽の光にあふれた風景画、そして『扇を持つ女性』を絶賛した。他方、大作『舟遊びをする人々の昼食』は、この展覧会ではそれほどの評価を得られなかった。『舟遊びをする人々の昼食』では、テーブル上の静物や、遠景のセーヌ川の描写は印象主義的であるが、人物の明確な輪郭線や、左下から右上に向かう構図は、この頃から古典主義への関心が強まったことを示している。 1882年のサロンには『青いリボンをつけたイヴォンヌ・グランレル』、1883年のサロンには『クラピソン夫人の肖像』を入選させた。1883年4月には、デュラン=リュエルがマドレーヌ大通り(英語版)に新しく開いた画廊で、ルノワールの個展が開かれた。 『モスク』1881年。油彩、キャンバス、73.5 × 92 cm。オルセー美術館。 『ピンクと青、カーン・ダンヴェール家のアリスとエリザベート(英語版)』1881年。油彩、キャンバス、119 × 74 cm。サンパウロ美術館。1881年サロン入選。 『舟遊びをする人々の昼食』1880-81年。油彩、キャンバス、130.2 × 175.6 cm。フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)。第7回印象派展出品。 『扇を持つ女性(フランス語版)』1881年。油彩、キャンバス、65 × 50 cm。エルミタージュ美術館。第7回印象派展出品。 『2人の姉妹(テラスにて)(英語版)』1881年。油彩、キャンバス、100.4 × 80.9 cm。シカゴ美術館。 『ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥッカーレ』1881年。油彩、キャンバス、54 × 65 cm。クラーク美術館(英語版)(マサチューセッツ州ウィリアムズタウン)。 『ブロンドの浴女』1881年。油彩、キャンバス、81.8 × 65.7 cm。クラーク美術館。 『リヒャルト・ワーグナーの肖像』1882年。油彩、キャンバス、53 × 46 cm。オルセー美術館。
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