アルジェリア旅行・イタリア旅行とは? わかりやすく解説

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アルジェリア旅行・イタリア旅行(1880年代初頭)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:28 UTC 版)

ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「アルジェリア旅行・イタリア旅行(1880年代初頭)」の解説

1881年初頭から、経済的危機脱したデュラン=リュエルが、ルノワール作品定期的に購入し始めたルノワールは、この年3月から4月にかけて、アルジェリア旅行した。ここでドラクロワ魅了した色彩豊かなオリエント惹かれドラクロワ倣い、『モスク』を描いたルノワールは、旅行先のアルジェから、デュラン=リュエルに宛ててサロン応募する理由について次のように書いている。 私がなぜサロン作品を送るのか、あなたに説明しようと思う。サロン通さず絵画結びつき得る美術愛好家パリには15人もいない。サロン入選しない画家作品1点買おうとしない人は15万人はいます。これが、毎年少なくとも2点肖像画サロン送っている理由です。 同年1881年)夏には、ヴァルジュモンにあるポール・ベラールの別荘過ごし近くプールヴィル英語版)、ヴァランジュヴィル=シュル=メールディエップ訪れた1881年サロンは、アカデミーからフランス芸術家協会移管されて初めてのサロンであったルノワールは、『ピンクと青、カーン・ダンヴェール家のアリスエリザベート』と肖像画1点入選させた。第6回印象派展には参加していない。かつての印象派グループは、ピサロ中心としたグループドガ中心としたグループ、そして今や印象派展離脱してサロン戻ったルノワールモネシスレーセザンヌらのグループ三つ分裂していた。 同年1881年10月ルノワールは、突然イタリア旅立ち、まずヴェネツィア滞在した。その地から、シャルパンティエ夫人に、「私はラファエロ作品見たいという願望取り憑かれました。」と書いている。そして、11月21日には、ナポリからデュラン=リュエルに、「私はローマでラファエロ作品見てきました。非常に素晴らしい。私はそれをもっと早く見ておくべきでした。……私は油彩画ならドミニク・アングル好きです。しかしラファエロフレスコ画には、驚くべき単純さ偉大さあります。」と書き送っている。ルノワールは、当初は、ラファエロ模倣するアカデミズム絵画侮蔑しており、冷やかしのために見に行ったようだが、ローマバチカン宮殿署名の間」やヴィラ・ファルネジーナの『ガラテアの勝利』を見て感動した。なお、この時のイタリア旅行には、アリーヌ・シャリゴも同行したカプリでアリーヌをモデルにして制作したブロンド浴女』の左手薬指には、指輪はめられている。 1882年1月には、友人から紹介状もらってパレルモ作曲家リヒャルト・ワーグナー会い短時間でその肖像画描いたその後パリに戻る予定変更しマルセイユ郊外エスタックポール・セザンヌ訪ね、共に制作した2月初めエスタック風邪を引いて肺炎起こし療養したそのような折、カイユボットデュラン=リュエルから、第7回印象派展への参加促す手紙届いたルノワールは、デュラン=リュエルに次のように回答している。 あなたがお持ち私の絵はあなたのものです。それらの絵をあなたが展示するのを妨げることはできません。しかし、展示するのは私ではありません。……もちろん私はどんなことがあっても、ピサロゴーギャン結託には関与しませんし、一時といえども独立派アンデパンダン)と呼ばれるグループ含まれることは受け入れられません。 第7回印象派展は、内紛の末、デュラン=リュエルが仲介して1882年3月開催こぎつけたが、出品作品大半デュラン=リュエルの所蔵品であったルノワール出品作は、デュラン=リュエルが選定した25点で、うち9点ヴェネツィアアルジェセーヌ川風景画5点静物画、その他は風俗画である。批評家フィリップ・ビュルティは、ヴェネツィアアルジェ太陽の光あふれた風景画、そして『扇を持つ女性』を絶賛した他方大作舟遊びをする人々の昼食』は、この展覧会ではそれほど評価得られなかった。『舟遊びをする人々の昼食』では、テーブル上の静物や、遠景セーヌ川描写印象主義的であるが、人物の明確な輪郭線や、左下から右上に向かう構図は、この頃から古典主義への関心強まったことを示している。 1882年サロンには『青いリボンをつけたイヴォンヌ・グランレル』、1883年サロンには『クラピソン夫人肖像』を入選させた。1883年4月には、デュラン=リュエルがマドレーヌ大通り英語版)に新しく開いた画廊で、ルノワール個展開かれた。 『モスク1881年油彩キャンバス、73.5 × 92 cmオルセー美術館。 『ピンクと青、カーン・ダンヴェール家のアリスエリザベート英語版)』1881年油彩キャンバス119 × 74 cmサンパウロ美術館1881年サロン入選。 『舟遊びをする人々の昼食』1880-81年。油彩キャンバス、130.2 × 175.6 cmフィリップス・コレクションワシントンD.C.)。第7回印象派展出品。 『扇を持つ女性フランス語版)』1881年油彩キャンバス65 × 50 cmエルミタージュ美術館第7回印象派展出品。 『2人姉妹テラスにて)(英語版)』1881年油彩キャンバス、100.4 × 80.9 cmシカゴ美術館。 『ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥッカーレ』1881年油彩キャンバス54 × 65 cmクラーク美術館英語版)(マサチューセッツ州ウィリアムズタウン)。 『ブロンド浴女1881年油彩キャンバス、81.8 × 65.7 cmクラーク美術館。 『リヒャルト・ワーグナー肖像1882年油彩キャンバス53 × 46 cmオルセー美術館

※この「アルジェリア旅行・イタリア旅行(1880年代初頭)」の解説は、「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の解説の一部です。
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