「アングル風」の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:28 UTC 版)
「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「「アングル風」の時代」の解説
印象派は、筆触分割の手法を用いて色彩の輝きを捉えようとしたが、この手法においては、はっきりした輪郭線に規定された形態を表現することは難しかった。実際、モネやシスレーは、草野や水面など、明確な形態を持たない自然の風景に主な関心を寄せ、建物を描く場合でも、ゆらめく影のように光の表現に溶け込んでおり、明確な形態は放棄されている。しかし、もともと人物、特に若い女性の健康な肉体の輝きに魅力を感じていたルノワールは、印象派のあまりに感覚主義的な態度には飽き足りなかった。ルノワールは、後に画商アンブロワーズ・ヴォラールに次のように語っている。 1883年頃、私の作品の中に一つの断絶が訪れた。印象主義をとことんまで追いつめていった結果、自分はもう絵を描くこともデッサンをすることもできないのではないかという結論に達した。つまり一口に言えば、私は袋小路に入ってしまったのだ。 戸外制作では余りに光の効果に気を取られてしまい、構成がおろそかになってしまうことにも気が付き、アトリエでの仕上げの必要性を認識した。 印象主義からの脱却には、1881年から1882年にかけてのアルジェリア旅行・イタリア旅行で、地中海の明るい太陽とルネサンスの古典作品に触れたことが影響したと思われる。その際、画面に構成的秩序を求めたルノワールの拠り所となったのが、新古典主義の巨匠ドミニク・アングルであった。1883年頃から1880年代後半まで続く「アングル風」時代の作品は、あまりにも冷たく、ぎこちない不自然さがあると評されるが、そのような犠牲を払ってでも、形態の確立によって印象主義の危機を克服することが必要であったと考えられる。 1881年頃から1886年頃にかけて制作された『雨傘』では、1881年頃に描かれた右側の2人の少女と2人の女性は、印象派風の軽快な筆触により表現されているのに対し、1885年頃描かれた左側の女性と男性は、明確な輪郭線が用いられており、印象主義の時代とアングル風の時代が混在している。そして、アングル風時代の総決算が、『大水浴図』である。この作品の表現は、アングルの『グランド・オダリスク』や『トルコ風呂』のように明確な形態を持っているが、反面、作り物のような冷たさがあることは否定できない。
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