戸外制作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/16 05:06 UTC 版)
戸外制作(こがいせいさく)とは、絵画を戸外で描くという意味であり、日本では美術書などでフランス印象派などの絵画スタイルを説明するときに使用される表現である [1][2]。フランス語では、オンプレネール (en plein air) またはプレネール (plein air) である[3]。 en plein air (英語:in the open air) を直訳すれば「戸外で」または「野外で」、「屋外で」という意味だが、このフランス語は他言語圏を含めた美術界では、絵画を戸外で制作するという意味に使われる。ただし、フランスではスポーツなど他の屋外活動にも使うので、曖昧さをさけるため戸外制作をpeinture sur le motif (英語の painting on the ground に当たる)と表現することもある。
由来と背景
画家が戸外で絵を描いていたのは昔からだが、19世紀中頃のフランスでは、自然光の中で仕事をすることがバルビゾン派、続いて印象派にとってはとくに重要な意味を持つようになった。しかも、バルビゾン派は仕上げをアトリエで行ったのに対し、印象派になるとすべてを戸外で仕上げる傾向があった[5]。とくに、クロード・モネ[6]やカミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワールなどは戸外制作を重視し、戸外の大気と光の中で多くの作品を描いた。これに対し同じ印象派でもエドガー・ドガは、戸外制作には否定的であった [7]。
戸外制作が流行したのは、1870年代にチューブ入り絵の具が普及したことによる[8]。それ以前は、画家は乾燥した顔料の粉をアマニ油とともに擦ったり混ぜたりして自分用の絵の具を作り、動物の膀胱に入れて持ち歩いていた。 さらにフランス印象派の戸外制作には、鉄道の発達でパリから気軽に郊外に出掛けられるようになったことも大きく寄与している[9][6]。
19世紀後半におけるイギリスのニューリン派も、戸外制作で知られている[10]。 この時期には「イーゼルボックス」(フランス式イーゼルボックス又は野外イーゼル)も登場した。最初の考案者は不明だが、このイーゼルは脚が折りたたみできる上に、絵の具箱とパレットが組み込まれており、森や丘陵になどへの携帯に最適であった。イーゼルボックスは今日でも製造されており、ブリーフケースサイズで収納しやすいので、自宅用としても使われる[11]。
19世紀後半から20世紀初頭には、オールドライム派のようなアメリカ印象派も、戸外制作に熱心であった。この時期のアメリカ印象派には、ガイ・ローズ、ロバート・ウィリアム・ウッド (画家)、マリー・デナール・モーガン[12]、ジョン・ギャンブル[13]、 アーサー・ヒル・ギルバートがいる。カナダのグループ・オブ・セブン と トム・トムソンも戸外制作の唱道者であった。
ロシアでは、ヴァシーリー・ポレーノフ、イサーク・レヴィタン、ヴァレンティン・セローフ、コンスタンチン・コローヴィン、 イーゴリ・グラバーリが戸外制作で知られている。
日本では、フランス留学から帰った黒田清輝、久米桂一郎などが、1896年(明治29年)に、白馬会(はくばかい)を結成し、印象派とアカデミズム絵画を折衷した「外光派」と呼ばれた。彼らは戸外制作によって、明るい光に満ちた感覚的な表現を行なった[14][15]。
20世紀、さらには21世紀でも戸外制作は盛んに行われている[16][17]。
著名な画家
フランス
- フィンセント・ファン・ゴッホ
- ウィリアム・ディディエ=プージェ
- ロベール・アントワーヌ・パンション
- アンリ・ビヴァ
- カミーユ・ピサロ
- クロード・モネ
- ベルト・モリゾ
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
イギリス
- ジョン・コンスタブル
- ラクストロウ・ダウンズ
ドイツ
スペイン
アメリカ
- ジョージ・イネス
- アンドリュー・ウィンター
- ロバート・ウィリアム・ウッド (画家)
- カール・エイテル
- メアリー・カサット
- ジョン・ギャンブル[13]
- アーサー・ヒル・ギルバート
- ロバート・クラニー
- ジョン・シンガー・サージェント
- アンソニー・シーム
- ウィリアム・メリット・チェイス
- ステファン・バウマン
- ウィリアム・プレストン・フェルプス
- エドガー・ペイン
- マーヴィン・マンガス
- ウィラード・メトカーフ
- マリー・デナール・モーガン[12]
- マリー・アグネス・ヤーキス
- ガイ・ローズ
カナダ
- トム・トムソン
- ラルフ・ウォレス・バートン
ロシア
オーストラリア
日本
ギャラリー
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ウィンスロー・ホーマー 『ホワイトマウンテンでスケッチする画家たち』 1868年 9½" × 15⅞" ポートランド美術館 ポートランド (メイン州)
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ルノアール 『アルジャントゥイユの自宅の庭で描くモネ』 1873年 46.7 × 59.7 cm ワズワース・アテネウム美術館 ハートフォード (コネチカット州)
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マネ 『水上アトリエで制作するモネ』 1874年 82.5 × 100.5 cm ノイエ・ピナコテーク ミュンヘン (ドイツ)
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ジョン・シンガー・サージェント 『木の下に腰掛けて描くモネ』 1885年 54.0 × 64.8 cm テート・ギャラリー ロンドン
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ヴィルヌーブの池の水辺で描くアンリ・ビヴァ 1903年
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ジョン・シンガー・サージェント 1909年 『シンプロン山を描く画家』 フォッグ美術館 ケンブリッジ (マサチューセッツ州)
脚注
- ^ ウィリアム・ザイツ 著、辻邦生/井口濃 訳 『モネ』(初)美術出版社、1991年、12頁。ISBN 4-568-19011-8。
- ^ “「ノルマンディー印象派フェスティバル」をより楽しむために”. MMM メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド. 2014年10月20日閲覧。
- ^ 喜多崎 親 (2005年1月18日). “印象派とは何か”. 社団法人如水会. 2014年10月20日閲覧。
- ^ a b “Liron Sissman's Page - PLEIN AIR ARTISTS”. 2014年10月23日閲覧。
- ^ 「美術検定」実行委員会 2008, p. 68.
- ^ a b クリストフ・ハインリヒ 著、ABC Enterprises Inc. (Miki Inoue) 訳 『モネ』TASCHEN、2006年、25頁。 ISBN 978-488783-012-7。
- ^ 視覚デザイン研究所 『西洋美術史入門』視覚デザイン研究所。 ISBN 978-4-88108-190-7。
- ^ 島田紀夫 2004, p. 162.
- ^ 島田紀夫 2004, p. 193.
- ^ “Newlyn School, Landscape Painting Artist Colony, Cornwall: History, Artists, Stanhope Forbes, Frank Bramley”. Visual-arts-cork.com. 2014年10月20日閲覧。
- ^ “MABEF Art Supporters - Produzione di cavalletti in legno per pittori”. M.A.B.E.F. srl. 2014年10月20日閲覧。
- ^ a b “Mary DeNeale Morgan Biography and Paintings”. 2014年10月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年10月22日閲覧。
- ^ a b “JOHN MARSHALL GAMBLE (1863-1957) - CALIFORNIA PLEIN AIR PAINTER”. 2014年10月23日閲覧。
- ^ “白馬会 現代美術用語辞典ver.2.0”. 2014年10月23日閲覧。
- ^ 「美術検定」実行委員会 2008, pp. 202–203.
- ^ “Artists who work 'en plein air' share their motivations: Arts”. adn.com (2010年6月6日). 2010年8月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年10月20日閲覧。
- ^ “Plein Air Painting - Painting Outside Plein Air”. Painting.about.com (2010年8月16日). 2014年10月20日閲覧。
- ^ “久米美術館【桂一郎コーナー】”. 2014年3月11日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
参考文献
- 島田紀夫 『印象派美術館』(初)小学館、2004年。 ISBN 4-09-699707-2。
- 「美術検定」実行委員会 『西洋・日本美術史の基本』美術出版社〈美術検定 公式テキスト〉、2008年8月15日。 ISBN 978-4-568-24023-8。
関連記事
- アートコロニー
- ハイデルベルク派
外部リンク
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戸外制作
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モネに代表される印象派は、こうした反アカデミズムの流れの中で登場してきた。モネは、クールベの写実主義的態度を受け継ぎ、自然に対する観察に向かった。もっとも、クールベにとって森や川といった自然が客観的に存在するものであったのに対し、モネたち印象派の画家にとっては、自然は自己の感覚に反映されたものであり、彼らはその「印象」、つまり主観的な感覚世界をキャンバスに再現することを追求した。 モネが自然の印象を正確にとらえるためにとった制作手法が戸外制作であった。モネはこの手法を先輩ウジェーヌ・ブーダンから学んだ。モネは、画家として目覚めた日のことを次のように回想している。 ブーダンは画架を立て、制作にとりかかった。私は、それを見るともなく見ていたが、やがて注意を引きつけられた。そして突然、ヴェールが引き裂かれたのだ。私は理解した。絵画に、どれほどのことがなし得るかということを理解したのだ。確固たる独立心をもって自身の芸術に献身するこの画家の、制作風景をたった一度見ただけで、私は画家となるべく運命づけられたのである。 こうした戸外制作を可能にしたのが、1840年代にイギリスで発明された、ネジ式の蓋を持つ金属製チューブ入り絵具であった。1820年代までは、画家がアトリエで自ら絵具を調合するか、豚の膀胱で作った袋で業者から購入しなければならず、保存性が悪かった。1820年代に注射筒状の容器が発明されたが、洗浄が大変であった。そのため油彩画はアトリエで仕上げるのが当然であった。チューブ入り絵具の発明により、戸外にイーゼルを立て油彩画を仕上げることができるようになり、バルビゾン派がいち早くこれを実践していた。しかし、当時一般的な手法とはなっておらず、クールベも、『画家のアトリエ』の中で、アトリエで風景画を制作する様子を描いている。 戸外制作は、物の描き方に革命をもたらした。古典的な絵画は、明から暗へゆっくり移行する陰影を付けて物の丸みと立体感を出す肉付法をとっていたが、それは、アトリエの窓から差し込む光が物に当たってできる、なだらかな陰を前提としたものであった。しかし、戸外の太陽の光の下では、強烈な明暗のコントラストが生じ、明から暗へのなだらかな移行は見られず、物が平板に見えるし、陰の部分も、単なる黒や灰色ではなく、周りの物から光が反射して、色彩が感じられる。このことに気付いたのは、マネと、モネたち印象派の画家たちであった。彼らは、物にはそれぞれ固有色があるという約束事から自らを解放し、目に映る色彩を自由に描くようになった。 モネは、戸外制作を本格的に始めたのは自分だという自負を持っており、1900年に次のように述べている。 私は戸外制作を始め、没頭するようになった。当時、戸外制作を存分に試みた画家はまだ誰もいなかった。そのマネですら、試みてはいない。マネが戸外制作を行うようになったのは、後のことで、私のほうが先だった。 もっとも、特に後期の連作では、屋外でのスケッチにアトリエで手を加えている。晩年の「睡蓮」大装飾画では、池で描いた大型の習作を基に、アトリエで想像力による再構成を行っている。
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