印象派との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:47 UTC 版)
「エドゥアール・マネ」の記事における「印象派との関係」の解説
マネは、若い印象派の画家たちから敬愛を受け、前述のように伝統的な約束事にとらわれない造形という点でも印象派に影響を与えた。フレデリック・バジールの『バジールのアトリエ』では、キャンバスの前でマネがバジールに助言を与えているところが描かれている。明示的にマネにならった作品もあり、モネは、マネの『草上の昼食(水浴)』に発想を得て1865年-66年に同様の主題で『草上の昼食』を制作し、ポール・セザンヌも、後述のように、『モデルヌ・オランピア(現代版オランピア)』を制作した。 1864年-65年の『ロンシャンの競馬場』のリトグラフでは、馬は4本脚というような既存の知識に頼ることなく、一見殴り描きのような線で、一瞬の力強い動きを描写している。このような手法は、印象派に引き継がれている。 他方、マネが、後輩のモネや弟子のベルト・モリゾら印象派から影響を受けた面もあり、1870年代には、印象派的な様式に近づいている。モネにならって戸外制作を取り入れたり、印象派風の筆触分割を用いたりしている。もっとも、モネに代表される印象派が、光と大気の揺らぎをキャンバスに留めることに集中し、人物をラフな筆触で幻影のように描いたのとは異なり、マネの描く人物には存在感と現実感があり、印象派とはやや関心が異なっていた。印象派が避けようとした黒も積極的に使用している。また、印象派の画家たちが、サイズの小さい作品を多数制作する傾向にあったのに対し、マネは、大きな作品を、毎回2点程度に集約して制作し、サロンに提出していた。これは、マネが、伝統的な歴史画に匹敵する作品を現代の主題と新しい手法で作り上げ、伝統の枠組みの中で認めさせようという野心を持っていたことを示唆する。 このように、マネは、印象派の画家たちと影響を与え合っており、印象主義的な要素の濃い作品もあることから、印象派の1人として語られることもあるが、印象派グループ展に参加しなかったことから、印象派そのものには含めず、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられるのが一般的である。
※この「印象派との関係」の解説は、「エドゥアール・マネ」の解説の一部です。
「印象派との関係」を含む「エドゥアール・マネ」の記事については、「エドゥアール・マネ」の概要を参照ください。
- 印象派との関係のページへのリンク