印象派との交流
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パリ滞在期間は2年強から3年間と正確には不明だが、この時期省亭は印象派周辺のサークルに参加している。エドモン・ド・ゴンクールの『日記』によると、1878年10月末から11月末頃に、省亭がエドガー・ドガに鳥の絵をあげたと逸話が見える。また、同じくゴンクールの「ある芸術家の家」では、《郡鳩浴水盤ノ図》をエドゥアール・マネの弟子のイタリア人画家ジュゼッペ・デ・ニッティスが描法の研究のため購入し、現在はフリーア美術館が所蔵している。他にも印象派のパトロンで出版業者だったジョルジュ・シャルパンティエが、1879年4月に創刊した『ラ・ヴィ・モデルヌ』という挿絵入り美術雑誌には、美術協力者の中に山本芳翠と共に省亭も記載されている。省亭は彼らとの交流の中で、特にブラックモン風の写実表現を取り込み、和洋を合わせた色彩が豊かで、新鮮、洒脱な作風を切り開いたと見られる。
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