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マフディーヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 02:34 UTC 版)
「アンサール (スーダン)」の記事における「マフディーヤ」の解説
ムハンマド・アフマドはアッラーから直接、啓示を受けたと主張した。1883年から1885年の間にスーダンを支配すると、マフディー信者による支配体制を確立した。この体制はシャリーアに変更を加えた法により支配されていた。ムハンマド・アフマドは、信者を他の教団(タリーカ)の信者と区別するため、彼らをダルウィーシュと呼ばないように命じた。その代わりに彼らを指す言葉として用いたのが、アンサールであった。アンサールとはアラビア語で「助ける人」を意味し、歴史的には預言者ムハンマドが信者を連れてマッカ(メッカ)から脱出したとき(ヒジュラ)、彼らを迎え入れたヤスリブ(メディーナ)の人々に対してムハンマドが使った言葉である(→アンサール (イスラーム) 参照)。 ムハンマド・アフマドは自分の代理となりうる者(ハリーファ)として三人の男を指名した。アブドゥッラー・アッ=タアーイシー、アリー・ワド・ヒルー、ムハンマド・アッ=シャリーフ(ムハンマド・アフマドの年下の従兄弟でありかつ女婿)の三人である。ムハンマド・アフマドは預言者ムハンマドにまつわる故事をまねた。預言者には四人の正統カリフが続いた。アブドゥッラーがアブー・バクル、アリー・ワド・ヒルーがウマル、ムハンマド・アッ=シャリーフがアリーに、それぞれ対応した。ウスマーンにはサヌースィー教団のシャイフのために取っておいたが、辞退された。ムハンマド・アフマドはハルトゥームを占拠した数ヵ月後の1885年6月22日に亡くなり、アブドゥッラーがアンサールの指導者になったが、ムハンマド・アッ=シャリーフを含むマフディー家の人々たちからの挑戦を受けた。
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