マフディーの反乱・ゴードン将軍の死とは? わかりやすく解説

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マフディーの反乱・ゴードン将軍の死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「マフディーの反乱・ゴードン将軍の死」の解説

ついでエジプト支配スーダンイギリス支配されエジプト対す反発強まり1882年夏にマフディー(救世主)を名乗ったムハンマド・アフマドによるマフディーの反乱発生したマフディー軍1883年1月19日西部都市エル・オベイド占領して同地エジプト軍武器スーダン兵を確保し大幅に戦力増強された。1883年9月イギリス軍大佐ウィリアム・ヒックス率いエジプト軍マフディー軍討伐出たが、惨敗してヒックス大佐戦死した反乱第一報聞いたヴィクトリアエジプト反乱同様にこれも武力鎮圧すべきと考えたが、グラッドストンこれ以上自己の信念反す帝国主義政策遂行することを嫌がりスーダンからエジプト守備軍を撤退させることを決定したエジプト守備軍の撤退指揮する人物として「チャイニーズ・ゴードン」の異名取っていたチャールズ・ゴードン少将スーダン総督任じてハルトゥーム派遣した。 だがゴードン将軍にはそもそも撤退意思がなく、またマフディー側に寝返ったスーダン北方部族により電線切られ本国からの指示受け取れなくなったことにより、グラッドストン政府意思反して同地留まりマフディー軍包囲された。イギリス世論ゴードン救出求める声に沸き立ったが、グラッドストンスーダン問題への深入り嫌がってなかなか援軍派遣認めようとしなかった。ヴィクトリア陸相ハーティントン侯爵通じて政府ゴードン救出命じ続け、ついにグラッドストン折れて遠征軍派遣決定した。 しかし遠征軍は間に合わず1885年1月26日ハルトゥーム陥落しゴードンマフディー軍殺害された。この報を聞いたヴィクトリア激怒して暗号電文ではなく通常電文グラッドストン政府叱責する電報送ったヴィクトリア2月末に何としてもスーダン奪還しゴードンの仇を取るべしと命じたが、グラッドストン4月閣議で「マフディー軍意気揚々としており、今はスーダン奪還時期ではない」と決定したグラッドストン態度怒り心頭発したヴィクトリアディズレーリ命日にあたって親愛なるビーコンズフィールド伯爵生きていてくれたなら」と日記上で嘆いている。 ゴードン戦死世論議会グラッドストンへの不満を高め彼の第三次内閣崩壊する一因となったゴードンは「帝国殉教者」に祭り上げられイギリスエジプト支配手放すことはプライドにかけてできなくなった1895年頃からイギリススーダン奪回最優先課題とするようになり、そのためにそれ以外の地域植民地争い一時的に収束させようと「栄光ある孤立」を再考さえした。具体的に中国植民地化をめぐるロシアとの対立トルコ利権をめぐるドイツとの対立西部スーダン植民地化をめぐるフランスとの対立を、彼らに譲歩することによって回避した。そしていよいよ1898年4月からホレイショ・キッチナー将軍率いるイギリス・エジプト連合軍スーダン攻撃開始し9月までにマフディー軍主力壊滅させてハルトゥーム奪還したゴードン戦死から13年たっての悲願達成であったヴィクトリア日記で「ゴードンの仇をとった」と喜んだ。 この直後キッチナー軍が更に南下したため、フランス植民地軍と睨みあう形となりファショダ事件発生したが、フランス譲歩おかげで英仏戦争危機は何とか収束した

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