英仏戦争
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英仏戦争(えいふつせんそう)とは、イングランドまたはイギリスとフランスとの間で闘われた戦争である。
- 1123-1135年 - 無政府時代に関連したフランスの介入
- 1202-1204年 - フランスのノルマンディー侵攻
- 1215-1217年 - 第一次バロン戦争
- 1337-1453年 - 百年戦争
- 1496-1498年 - 第一次イタリア戦争の一環
- 1512-1514年 - カンブレー同盟戦争の一環
- 1522-1526年 - 第三次イタリア戦争の一環
- 1542-1546年 - 第四次イタリア戦争の一環
- 1557-1559年 - 第六次イタリア戦争の一環
- 1627-1629年 - 三十年戦争の一環
- 1666-1667年 - 第二次英蘭戦争に関連して起こった戦闘
- 1689-1697年 - 九年戦争の一環
- 1702-1713年 - スペイン継承戦争の一環
- 1744-1748年 - オーストリア継承戦争の一環
- 1744-1763年 - カーナティック戦争
- 1756-1763年 - 七年戦争の一環
- 1778-1783年 - アメリカ独立戦争の一環
- 1793-1802年 - フランス革命戦争の一 環
- 1803-1814年 - ナポレオン戦争の一環、半島戦争など参照
- 1815年 - ナポレオン戦争の一環、第七次対仏大同盟など参照
英仏戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:25 UTC 版)
「エドワード1世 (イングランド王)」の記事における「英仏戦争」の解説
イングランド王室プランタジネット家(アンジュー家)はもともとフランス大貴族であり、アンジュー帝国と呼ばれる巨大な領地をフランス北西部に所有していたが、1202年からのフランス王フィリップ2世の所領没収宣言・侵攻を受けてジョン王は南アキテーヌ(ガスコーニュ)以外を喪失した。その後イングランド王はたびたびフランス出兵を行って領土を取り戻そうとしたものの、すべて失敗に終わった。結局1259年にはパリ条約が締結され、アキテーヌ地方をイングランド王に残すということで両者は妥協した。このおかげで以降1290年代初頭まで英仏関係は平穏に推移した。 ところが1293年にイングランドとガスコーニュ船籍の船団がノルマンデー船籍の船団に攻撃を仕掛けて打ち破り、ラ・ロシェルを襲撃する事件が発生した。アテキーヌを狙っていたフランス王フィリップ4世はエドワードのガスコーニュの領主としての責任を追及し、1294年にガスコーニュを含む全アキテーヌの所領を没収すると宣告した。これはフランス王によるアンジュー領侵攻の再開と考えられたのでエドワードは1294年にもフランス出兵を開始し、英仏戦争(英語版)が勃発した。百年戦争はエドワード3世の時代に始まるが、実質的にはこのときから始まっていたと考えられている。 このときの戦いは1299年までに旧領を回復してフィリップ4世と和議することで一応解決した。この和議の際にフィリップ4世の妹マーガレット・オブ・フランスと結婚している(エリナーとは1290年に死別していた)。
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