プランタジネット朝
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プランタジネット朝(プランタジネットちょう、英: Plantagenet dynasty [plænˈtædʒənət])は、中世イングランド王国の王朝。貴族であったアンジュー伯アンリが1154年にヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の男系の傍系であるため、広義ではプランタジネット朝に含まれる。この場合はヨーク朝のリチャード3世が最後のプランタジネット朝の王となる。ヨーク朝を滅ぼして王位を得たテューダー朝およびその後のすべての王朝は、女系でプランタジネット家の血を引いている。アンジュー伯家から興ったことから、その初期(ヘンリー2世からジョンまで)についてはアンジュー朝(Angevin Dynasty)とも呼ばれる。
- 1 プランタジネット朝とは
- 2 プランタジネット朝の概要
プランタジネット家
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「ノルマンディー公」の記事における「プランタジネット家」の解説
アンリ1世(ヘンリー1世)の娘マティルダは、アンジュー伯家(プランタジネット家)のジョフロワと再婚し、エティエンヌ(スティーヴン)とイングランド王位、ノルマンディー公位を争った。 ジョフロワ(1144年 - 1150年)「美男公」アンジュー伯(ジョフロワ4世、1129年 - 1151年) アンリ2世(1150年 - 1189年)イングランド王(ヘンリー2世、1154年 - 1189年) リシャール4世(1189年 - 1199年)イングランド王(リチャード1世、1189年 - 1199年)「獅子心王」 ジャン(1199年 - 1216年)イングランド王(ジョン、1199年 - 1216年)「欠地王」 1204年にフィリップ2世によってノルマンディー公領(チャネル諸島を除く)を奪われるが、以降も公位を主張する。 アンリ3世(1216年 - 1259年)イングランド王(ヘンリー3世、1216年 - 1272年) 1259年のパリ条約により、アンリ3世はノルマンディー公位を放棄した。
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プランタジネット家
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「イングランド君主一覧」の記事における「プランタジネット家」の解説
詳細は「プランタジネット朝」を参照 スティーブンは1153年11月にウォーリングフォード協定で、マティルダの男子アンリを養子という形で自らの王位後継者とすることに同意した。 ノルマン朝による統治期間よりも、プランタジネット家はアキテーヌから支配を行い、より多くのフランスにおける領土を獲得したが(アンジュー帝国)、ジョン欠地王の代にほとんどのフランス領を失う前には、同じくイングランドを自分達の主要な領土とは見なさなかった。この長きにわたる王朝は、アンジュー朝、ランカスター朝、ヨーク朝の3期に分けられる。フランスへの焦点からブリテン島全域への拡大の変更はランカスター朝とヨーク朝の用法が異なることを示し、両王朝の前方に見渡す国境先にはノーサンブリアを要求する スコットランド王(古い同盟)が存在し、敵対するプランタジネット家の分家の名に等しいということで特筆される。プランタジネット家が互いに殺し合ったことでウェールズ系のテューダー家が有利になったが、ランカスター家とポルトガル(アキテーヌ維持には不可欠だった)、それにカスティーリャも加わった結び付きは確かなものになった。これがヘンリー8世がクレーフェにおけるヨーク朝・ブルゴーニュ公国の古い同盟を選択したことから急に変わり、エリザベス1世の寵臣レスター伯ダドリーの許でのネーデルラント反乱における内紛で更に続行されたイングランドをスコットランド・レノックスの(本来はフランス・オービニー=シュル=ネールに基盤を置いていた)親仏のステュアート家に明け渡すというかつてのノーサンブリア=ウェストモアランド内紛での争いから来る反テューダーという背信への憤りから、このこと全てが並行して行われた。スコットランドの王朝は対象として新たに見つけたイングランドに権威を及ぼすのを維持するためにフランスに依存し、両国は前にも後にも王冠を獲得するために共に戦った。百年戦争以前のヨーク=ブルゴーニュ同盟はウィリアム3世のもとで復活し、これは第二次百年戦争と呼ばれる。 プランタジネット家はイングランドの王章を制定し、これは大抵、王国を掌握ないしは要求する者やその後継者によって示されたが、全く同時期のアイルランドの表象は欠けている。
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