ボーフォート家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ボーフォート家(House of Beaufort)は、イングランド王国の貴族の家系。ランカスター家の分家で、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントとキャサリン・スウィンフォードの間の4人の子供にボーフォートの姓が与えられたのが始まりである。この姓はフランス・アンジューのボーフォール城(Château de Beaufort)に由来する。4人は両親が結婚前に生まれた私生児であったが、従兄のリチャード2世によって嫡出子とされると同時に王位継承権から除外されている。後にも、異母兄のヘンリー4世によって王位継承権から除外されている。それにもかかわらず、子孫が王位を継ぐ結果となった。
プランタジネット朝末期からランカスター朝期にかけて、王家傍系の貴族として栄達を遂げた。薔薇戦争ではランカスター派に属したが、ヨーク派によって滅ぼされた。しかし、一族のマーガレット・ボーフォートの息子ヘンリー7世がヨーク家を倒してテューダー朝を興している。ヘンリー7世とその子孫(現イギリス王家に至る)だけでなく、ヨーク朝の全ての王、ジェームズ2世[1]以降の全てのスコットランド君主が、ボーフォート家の血を引いている。
一方で庶系では、第3代サマセット公ヘンリー・ボーフォートの庶子チャールズ・サマセットの系統であるサマセット家が、今日まで男系で存続している。ヘンリー7世の又従弟にあたるチャールズは、ヘンリー8世によってウスター伯に叙爵された。その6代後の子孫である第3代ウスター侯ヘンリー・サマセットはチャールズ2世の王政復古を支援したことで、 1682年にボーフォート公に叙爵された。現在のサマセット家当主は、第12代ボーフォート公ヘンリー・サマセットである。
系図
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ブランシュ・オブ・ランカスター |
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ジョン・オブ・ゴーント ランカスター公 |
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キャサリン・スウィンフォード |
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ヘンリー4世 イングランド王 |
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ジョン 初代サマセット伯 |
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ヘンリー 枢機卿 |
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トマス エクセター公 |
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ジョウン |
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ラルフ・ネヴィル ウェストモーランド伯 |
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ヘンリー5世 イングランド王 |
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キャサリン・オブ・ヴァロワ |
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オウエン・テューダー |
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ヘンリー 第2代サマセット伯 |
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ジョン 初代サマセット公 |
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ジョーン |
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ジェームズ1世 スコットランド王 |
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トマス ペルシュ伯 |
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エドマンド 第2代サマセット公 |
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マーガレット |
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セシリー・ネヴィル |
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リチャード・プランタジネット 第3代ヨーク公 |
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エドマンド・テューダー リッチモンド伯 |
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マーガレット |
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ジェームズ2世 スコットランド王 |
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ヘンリー 第3代サマセット公 |
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エドマンド 第4代サマセット公 |
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エドワード4世 イングランド王 |
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リチャード3世 イングランド王 |
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ヘンリー7世 イングランド王 |
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チャールズ 初代ウスター伯 |
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エリザベス・オブ・ヨーク |
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エドワード5世 イングランド王 |
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ボーフォート家の人物
備考
関連項目
ボーフォート家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:54 UTC 版)
ジョン・ボーフォート(1371年ごろ - 1410年)は、ジョン・オブ・ゴーントとキャサリン・スウィンフォードの息子である。彼は1397年2月10日にサマセット伯爵及びサマセット侯爵に叙せられた。死後、爵位は長男ヘンリー(1401年 - 1418年)が継承するが夭折してしまったため、次男ジョン(1404年 - 1444年)が継承する。1443年8月28日にジョンはサマセット公爵及びケンダル伯爵に叙せられる。しかし翌1444年に急死(自殺説もあり)、公位もケンダル伯位も消滅してしまう。 サマセット伯爵位は急死したジョンの弟エドマンド(1406年 - 1455年)が継承した。エドマンドは既に1442年にはドーセット伯爵に、1443年にはドーセット侯爵に叙せられていたが、新たにサマセットの所領も継承し、1448年3月31日にサマセット公爵に叙せられている。エドマンドがサマセット公の時にヨーク公リチャードがランカスター朝の国王ヘンリー6世に反旗を翻し、国内を二分する薔薇戦争が勃発する。エドマンドはヘンリー6世の側近かつヨーク公の政敵であることから当然ランカスター派に与したが、1455年の第一次セント・オールバンズの戦いで戦死した。 爵位は息子ヘンリー(1436年 - 1464年)が継承する。ヘンリーは1461年3月のタウトンの戦いの敗戦でスコットランドに逃走し、1461年11月4日にヨーク朝のエドワード4世から反逆罪を理由に私権剥奪され、爵位も所領も没収される。1463年3月にスコットランドから戻ったヘンリーは、エドワード4世と和解して爵位・所領共に返還されているが、間もなく再びランカスター派に復帰し、1464年5月のヘクサムの戦いで捕らえられ、処刑された。ヘンリーにはチャールズ・サマセットという子供がいたが、ヘンリー自身未婚だったため嫡子として認められず、サマセット伯を継がせることはできなかった。 議会はヨーク朝に反逆したサマセット公の爵位消滅を議会法によって宣言したが、ランカスター派ではヘンリーの弟エドマンド(1439年ごろ - 1471年)を第4代サマセット公とした。彼は1471年のテュークスベリーの戦いで敗退し、そこで処刑された。彼の死によってボーフォート家の家系は途絶えてしまった。
※この「ボーフォート家」の解説は、「サマセット公」の解説の一部です。
「ボーフォート家」を含む「サマセット公」の記事については、「サマセット公」の概要を参照ください。
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