ジョーン・オブ・イングランド_(1210-1238)とは? わかりやすく解説

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ジョーン・オブ・イングランド (1210-1238)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 06:10 UTC 版)

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ジョーン・オブ・イングランド
Joan of England
スコットランド王妃
在位 1221年6月19日 - 1238年3月4日

出生 1210年7月22日
死去 (1238-03-04) 1238年3月4日(27歳没)
イングランド王国、ヘイヴァーリング=アット=バウワー
埋葬 イングランド王国ドーセット、タラント修道院
結婚 1221年6月19日 ヨーク・ミンスター
配偶者 スコットランドアレグザンダー2世
家名 プランタジネット家
父親 イングランドジョン
母親 イザベラ・オブ・アングレーム
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ジョーン・オブ・イングランド(Joan of England, 1210年7月22日 - 1238年3月4日)は、スコットランドアレグザンダー2世の最初の王妃。イングランドジョンと王妃イザベラ・オブ・アングレームの長女。ヘンリー3世、コーンウォール伯リチャードの妹、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の皇后イザベラの姉。

生涯

1221年6月19日ヨークヨーク・ミンスターでアレグザンダー2世と結婚した。

子はなく、1238年にジョーンがロンドン郊外で死去すると、アレグザンダー2世はフランス貴族の娘マリー・ド・クシーと再婚し、次代の王アレグザンダー3世をもうけた。アレグザンダー3世の最初の王妃マーガレットはヘンリー3世の娘であり、ジョーンの姪に当たる。

参考文献

  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年



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