ジョーン・オブ・ザ・タワー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 06:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ジョーン・オブ・イングランド Joan of England |
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スコットランド王妃 | |
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在位 | 1329年6月7日 - 1362年9月7日 |
戴冠 | 1331年11月 |
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別称 | ジョーン・オブ・ザ・タワー(Joan of The Tower) |
出生 | 1321年7月5日![]() |
死去 | 1362年9月7日(41歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
結婚 | 1328年7月17日 ベリック |
配偶者 | スコットランド王デイヴィッド2世 |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王エドワード2世 |
母親 | イザベラ・オブ・フランス |
ジョーン・オブ・イングランド(Joan of England, 1321年7月5日 - 1362年9月7日)は、スコットランド王デイヴィッド2世の最初の王妃。イングランド王エドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの末娘。ロンドン塔で生まれたことから、ジョーン・オブ・ザ・タワー(Joan of The Tower)と呼ばれる。
生涯
1328年7月17日、ベリックで7歳の時に当時4歳のデイヴィッドと結婚し、翌1329年にデイヴィッドが父ロバート1世の病没にともない即位したため、王妃となった。
1332年にジョーンの兄エドワード3世の支援を受けてエドワード・ベイリャルがスコットランド王として戴冠し、翌1334年にはエドワード3世自身がスコットランドへ侵攻した。そのためデイヴィッド2世はジョーンを連れてフランスへ逃れた。フランスでは丁重な扱いを受け、デイヴィッド2世はフランスの支援を受けつつ勢力を挽回し、1341年に帰国して国内を平定した。1346年にはイングランドへ侵攻したが、ネヴィルズ・クロスの戦いに敗れて捕虜となった。以後11年間、デイヴィッド2世はジョーンと離れてイングランドで虜囚生活を送った。
ジョーンは1362年に死去したが、デイヴィッド2世との間に子はなかった。デイヴィッド2世は1364年にマーガレット・ドラモンドと再婚したが、2度目の結婚でも子は得られず、スコットランド王位は甥ロバート2世が継承した。
参考文献
固有名詞の分類
プランタジネット家 |
ヘンリー・プランタジネット ジョフロワ4世 ジョーン・オブ・ザ・タワー 若ヘンリー王 エドマンド・プランタジネット |
スコットランドの王妃 |
ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス メアリー・オブ・モデナ ジョーン・オブ・ザ・タワー マーガレット・テューダー メアリ・オブ・ギーズ |
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