マフディー国家の樹立を宣すとは? わかりやすく解説

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マフディー国家の樹立を宣す

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 14:07 UTC 版)

ムハンマド・アフマド・アル=マフディー」の記事における「マフディー国家の樹立を宣す」の解説

1881年6月29日ヒジュラ暦1298年シャアバーン月朔日)、ムハンマド・アフマドは「自分が正導者マフディー)であり、来るべき預言者イーサー再来備えて道を整えるべき」ことを公式に宣言した。それは、飛び抜けたスーフィーシャイフとして、サンマーニーヤ教団アーバー島周辺地域部族中に多く弟子たち持ったムハンマド・アフマド衆望なければあり得ない宣言だった。もっとも、マフディー国家(ダウラッ・マフディーヤ)を樹立するというアイデア自体ムハンマド・アフマド宣言よりも前に、サンマーニーヤ教団思想中心ににあった。前指導者、クラシー・ワド・ザイン師は「待ち望まれているお方(ムンタザル)、救い主は、サンマーニーヤ教団教え受け継ぐ者たち(スィルスィラ)の中から現れる」と断言していた。クラシー師によればマフディーなられるお方は、数多く予兆通して自らが救世主であることを自覚するであろうそのような予兆いくつかイスラーム黎明期に既に起きており、ハディースにもその旨記録されているが、まだ起きていない予兆もある。それらは明白に土着的性格備えている」と言ったとされるまた、マフディー到来予兆として、彼がシャイフの子馬の背乗るであろうこと、そして、彼の死後にその墓を覆うドームが建つであろうことを予言したムハンマド・アフマドは、自分支持者敵対者双方によく知られている昔ながらスーフィー儀式引き合い出して、私は「預言者たちの集会」、ハドラ・ナバウィーヤ(Al-Hadra Al-Nabawiyya, الحضرة النبوية‎)においてマフディー指名されたのだ、と主張した。タサウウフにおいてハドラアーダムからムハンマドに至るまでのすべての預言者だけでなく、存命中に神的な高み達した思われスーフィー聖者たちも大勢が集まる集会意味する観念される。ムハンマド・アフマド幻視したハドラは、サイイド・ウージュード(Sayyid al-Wujūd)つまり、神との合一(ウージュード(英語版))を果たしたサイイドとして知られる預言者ムハンマド取り仕切り、その側には7人のクトゥブ(Qutb, 軸となる人)がいた、その中で最も年かさの男はガウス・ザマンであった、という。マフディーヤ信仰体系においてムハンマド・アフマドマフディー称号与えたのは、この神秘的なハドラにほかならなかった。マフディーヤにおいてはムハンマド・アフマド預言者ムハンマド心臓の中心聖なる光の中から生み出されたとか、マフディーヤ永遠にして全宇宙の母体であるとか、生きとし生けるものすべてが生まれたときからマフディー救世主ムハンマド・アフマドを指す)の主張知っているなどといった、多く中心教義があったが、それらすべてのとなっていたのが、このハドラであったイスラーム布教始まったまさにその黎明期ムスリム共同体であるウンマ預言者ムハンマド正統カリフたちの指導の下に1つまとまっていた。ムハンマド・アフマドマフディーヤその頃への回帰という枠組み与えるため、自らのマフディー宣言預言者事績との間に多く対称関係構築されるように腐心した例えば、彼は自分自身のことを「ハリーファ・ラスールッラー(Khalifat Rasul Allah, خليفة رسول الله)」つまり「神の預言者代理人」と言及するとともに(ラスールッラーは預言者ムハンマドの別名)、側近4人を「アブー・バクルウマルウスマーンアリー」と呼んださらには自分に従う者たちを他のスーフィーセクト信者区別するため、彼らを「ダルヴィーシュ」という言葉で呼ぶことを禁止し、「アンサール」という称号言い換えさせた。 マフディー導かれし者)に関する教義伝説スーダン人々の心をとらえたため、この原理主義的世界観宗派越えて広まった。これらの教義多く根拠のないハディース伝承)に由来したのである若しくは歴史的スーダン古くからあった神話シーア派教義スーフィー的伝文化1つまとまっていってできたものであるイスラーム世紀への変わり目にはマフディー導かれし者)が自ら姿を現す信じられていたし、その出現時の終わり告げるものである信じられていた。マフディー信仰新たな息吹吹き込み分裂したウンマ再統一をなすとされ、その統治8年間続くとされていた。そしてマフディーは反救世主、ダッジャール(al-Dajjal)との戦いで命を落とし、その統治は終わると信じられていた。ダッジャールはその後に、アン=ナビー・イーサー(Nabi 'Isa)の再来により打倒されるとされていた。

※この「マフディー国家の樹立を宣す」の解説は、「ムハンマド・アフマド・アル=マフディー」の解説の一部です。
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