研究・教育活動
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「ブロニスワフ・ゲレメク」の記事における「研究・教育活動」の解説
ゲレメクはこの後、民主化運動に参加し、政治家として活躍するようになってからも、並行して研究活動を続け、『憐れみと縛り首 ― ヨーロッパ史のなかの貧民』(1989年)、『フランソワ・ヴィヨンの世界』(1990年)、『カインの息子たち ― 15~18世紀の欧州文学における貧者と浮浪者』(1992年)などを発表している。また、1990年に在ポーランド・フランス大使館でアナール学派のジョルジュ・デュビーと対談し、歴史研究の方法や課題、歴史家の使命などについて話し合った。この対談は『共通の情熱』としてフランス(1992年)およびポーランド(1995年)で出版された。 とりわけ、『憐れみと縛り首』は日本語をはじめとし多くの言語に翻訳された。中世には修道院が慈悲と施しの精神に基づいて救貧活動を担っており、清貧の思想に示されるように貧困は美徳ですらあったが、やがて都市が救貧行政を行うようになると、貧困は怠惰による悪徳であるとされ、貧者や浮浪者に対する抑圧・排除が始まった。最下層民は耳を削がれ、主人のものを盗んだ女性は生き埋めにされるなど、弾圧は過酷さを増し、1473年のパリ議会で、烙印から追放刑までの貧者や浮浪者に対する刑罰が体系化・制度化された。すなわち、憐みと施しの対象であった貧者が統治権力の排除と取締りの対象に変わったのであり、慈善と弾圧というこの貧民対策の二面性をゲレメクは「憐れみ」と「縛り首」という言葉で表現した。 博士号取得後、1962年から65年までソルボンヌ大学のポーランド文明センター(フランス語版)主任を務め、帰国後はポーランド科学アカデミーの歴史研究所で教鞭を執った。1986年には、アナール学派を代表する歴史学者で、対独レジスタンス活動によりゲシュタポに銃殺されたマルク・ブロックに関する大規模な学術会議がソルボンヌ大学で開催され、招待を受けて講演を行う予定であったが、ポーランドの国内事情により渡航できず、「抵抗と希望のメッセージ」を送り、ジャック・ル・ゴフがこれを講演会で読み上げた。 さらに欧州大学院大学ブルッヘ校で教育活動に関わった後、1993年にナトリン(ポーランド語版)校の設立に参加した。欧州大学院大学ナトリン校は後にブロニスワフ・ゲレメク・センターの協賛を得て、欧州文明・欧州史の優れた研究に対して与えられるブロニスワフ・ゲレメク賞を設立した。 また、1992年から93年にかけてコレージュ・ド・フランスで「社会史 ― 排除と連帯」と題する講座を担当した。
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