大脳生理学者としての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:06 UTC 版)
「木々高太郎」の記事における「大脳生理学者としての活動」の解説
1918年(大正7年)には慶應義塾大学医学部予科に入学する。1924年に同医学部を卒業し、慶應義塾大学生理学教室の助手となる。1927年(昭和2年)には講師となり、生理学の講義を担当、1928年(昭和3年)に 慶應義塾大学より医学博士号を得る。博士論文は「神経刺激電流の滑走に就て」。1929年(昭和4年)には助教授に昇進する。 1932年(昭和7年)にソ連のレニングラード(ペテルブルク)へ留学し、翌年2月までイワン・パブロフのもとで条件反射学を研究する。1933年(昭和8年)5月には帰国し、帰国後は研究・教育活動の傍ら新聞への医学随筆の寄稿等も行い、1934年には科学知識普及会評議員となる。
※この「大脳生理学者としての活動」の解説は、「木々高太郎」の解説の一部です。
「大脳生理学者としての活動」を含む「木々高太郎」の記事については、「木々高太郎」の概要を参照ください。
- 大脳生理学者としての活動のページへのリンク