ソ連占領下の北部朝鮮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 16:05 UTC 版)
「満洲派 (朝鮮労働党)」の記事における「ソ連占領下の北部朝鮮」の解説
1945年9月、金日成らはソ連占領下の北部朝鮮に帰国した。ソ連軍は占領地に独自の権力機構の構築を図り、10月8日に北朝鮮臨時人民委員会(のちに北朝鮮五道行政局、委員長:曺晩植)を設立した。朝鮮では朴憲永を中心にソウルで朝鮮共産党が再建されていたが、10月13日には「朝鮮共産党北部朝鮮分局」という形で北部朝鮮の党組織が結成された。 「解放」直後の北部朝鮮には、金日成ら満洲派、ソ連軍が呼び寄せた朝鮮系ソ連人(ソ連派)、中国共産党の指導下にあった延安派、「国内派」と呼ばれる朴憲永派(南労党派)、同じ「国内派」でも北部を基盤に活動していた人々など、さまざな経歴を持つ人物が集まった。ソ連占領軍は、共産党を中心とする人民戦線型の国家建設を目指していたとされる。 1945年12月、朝鮮共産党北部朝鮮分局は金日成を責任秘書(書記長に相当する)として選出した。このとき延安派からは武亭が幹部部長に、ソ連派からは許哥誼が組織副部長に就任しており、海外組が連携して国内派を抑える形となった。北部朝鮮分局はやがて北朝鮮共産党として改変される。1946年2月には北朝鮮臨時人民委員会(委員長:金日成)が設立された。ここに、金日成が党と行政のトップを兼ねることとなった。 1946年7月、北朝鮮共産党は朝鮮新民党と合同して北朝鮮労働党が発足。委員長は新民党から金枓奉が選出されたが、副委員長のひとりである金日成が実質的な代表であった。 1948年9月、朝鮮民主主義人民共和国が建国される。1949年には北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合同し、朝鮮労働党が発足する。
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