ソ連占領下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 20:19 UTC 版)
「ドイツ民主共和国における検閲」の記事における「ソ連占領下」の解説
東ドイツ成立以前のソ連占領下、1945年~1949年10月のあいだ、SMADが検閲を実施した。極めて高いドイツ語力をもった大尉か少佐の赤軍(ソ連軍)広報部将校がそれぞれの地域司令部に派遣された。SEDの雑誌が、報道の表現基準(「党綱領」)を照合しながら自己検閲していたのに対して、キリスト教民主同盟(CDU)、自由民主党(LDPD)、国民民主党(NDPD)のようないわゆる衛星政党の冊子には、事前検閲が義務づけられていた。実際、編集者は、印刷に回す前から、版を司令部に提出し、印刷許可(ドイツ語版)を貰わなければならなかった。 検閲組織については、「プロパガンダ及び検閲管理局」(露: управление пропаганды)があり、のちに「情報管理局」(露: управление информации)がSMADの一部として成立した。1945年から1949年9月までの局長は、セルゲイ・イヴァノヴィッチ・テュルパノフ(ドイツ語版)であった。それと同様の部門は、SMADの国家行政局に設置された。 1949年の東ドイツの成立によって、新聞の「同一化」と、メディア会社および印刷所の国営化が行われ、その結果、事前検閲は廃止され、より目に見えないかたちでの検閲が始まった。
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