ソ連占領地域での逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:59 UTC 版)
「カール=ハインツ・クラス」の記事における「ソ連占領地域での逮捕」の解説
1946年12月、ソビエト連邦内務省秘密警察は銃器の不法所持によってクラスを逮捕した。この際の取り調べで彼の党員資格など個人情報が調査され、在独ソ連軍政府の記録に残された。 1947年1月9日、ベルリンにて軍事法廷が開廷される。クラスはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国刑法第58条第14項、すなわち「反革命的サボタージュを禁ずる法律」に定められた「国家及び政府を弱体化せんとする意志に基づく義務の放棄及び銃器所持の禁止」に違反したものとされ、収容所における懲役10年間が宣告された。これによりクラスはSEDの党員資格を喪失している。彼はザクセンハウゼン内務人民委員部第7特別収容所(英語版) (Speziallager Nr. 7 Sachsenhausen) に送られた。後にシュタージが作成したクラスの経歴に関する書類では、収容所所長の個人的な補助要員として働いていたと記録されている。1950年2月、第7収容所が解体され、クラスも釈放される。 なお、歴史家のスヴェン・フェリックス・ケラーホフ(ドイツ語版)は2009年5月26日に公開されたソ連当局の記録を根拠に、1946年から1949年までクラスが収容者に対するスパイとして活動していた可能性を指摘している。 1950年3月、西ベルリンに移ったクラウスはベルリン警察に採用され、シャルロッテンブルク地区(ドイツ語版)にて巡査部長 (Polizeimeister) として勤務する。1959年には刑事警察の上級刑事長(Kriminalobermeister, 警部補に相当)に昇進した。
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