ソ連向け輸送船団のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 16:37 UTC 版)
「PQ17船団」の記事における「ソ連向け輸送船団のその後」の解説
援助物資輸送船団が大損害を受け、受け取れる物資が激減したことに対し、スターリンは米英両国に強硬な抗議を行い引き続き船団を送るように求めた。しかし、連合国軍もPQ17船団がこれだけの犠牲を出したあとでは船団護衛体制の立て直しを計らざるを得ず、次船団PQ18船団の出発は9月2日までずれ込んだ。護衛空母アヴェンジャーを含む50隻を超える艦艇に護衛されたPQ18 船団は、40機以上のドイツ機を撃墜し3隻のドイツ潜水艦を撃沈したが、12隻の商船と1隻の給油艦を失う損害を受け、その次の輸送船団 JW51 の出発は12月下旬まで行われなかった。
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