ソ連参戦による終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:02 UTC 版)
7月末にも、予測されるソ連の対日参戦前に朝鮮半島からの食糧緊急移送が試みられ、羅津・清津・雄基の3港に向けて約40隻の商船が出発した。8月10日までに積み取り完了して帰還するよう指令されていたが、まだ多くの船が積み出し港に停泊中の8月9日未明にソ連軍による空襲が始まり、羅津所在の商船15隻のうち貨物船「めるぼるん丸」など13隻などが失われた。護衛の「第82号海防艦」も羅津沖で沈没したほか、雄基でも少なくとも3隻の商船が撃沈されている。なお、羅津を目指して航行中の一船団は海防艦「屋代」、「第87号」に護衛されて転針し、元山へ無事に入港できた。 ソ連軍地上部隊により満州及び朝鮮半島北部が攻撃を受けたことで満州方面からの食糧移送は完全に終了した。それからまもなく、日本軍は降伏した。
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