ソ連共産党解体とソ連崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:16 UTC 版)
「ミハイル・ゴルバチョフ」の記事における「ソ連共産党解体とソ連崩壊」の解説
詳細は「ソビエト連邦の崩壊」を参照 8月23日にゴルバチョフはロシア最高会議で今後のソビエト連邦と党に関する政見演説を行うが、議員たちはゴルバチョフの演説に耳を傾けることはなかった。同時に、ロシアSFSRのエリツィンはソ連共産党の活動停止の大統領令に署名する。 翌8月24日、ゴルバチョフはソ連共産党書記長の辞任と共産党の資産凍結を発表するとともにソ連共産党中央委員会の自主解散を要求し、エストニアとラトビアの独立を承認した。 クーデターからおよそ10日後の8月29日、最高会議の臨時両院合同会議でパブロフ首相の不信任案が可決され、ソ連共産党の活動全面停止を決定した。 同年末には、この時点でゴルバチョフの政治的ライバルであったエリツィンがロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のソビエト連邦からの脱退を進めたことにより、ソビエト連邦は崩壊した。12月25日にゴルバチョフはテレビ演説で「私は不安を持って去る」と大統領を辞任し、結果的にソ連時代唯一の大統領となった。
※この「ソ連共産党解体とソ連崩壊」の解説は、「ミハイル・ゴルバチョフ」の解説の一部です。
「ソ連共産党解体とソ連崩壊」を含む「ミハイル・ゴルバチョフ」の記事については、「ミハイル・ゴルバチョフ」の概要を参照ください。
- ソ連共産党解体とソ連崩壊のページへのリンク