ソ連側の鉱区開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 22:15 UTC 版)
北樺太石油はソ連側の鉱区についても開発を委任するよう働きかけた。しかし、日本側の順調な立ち上がりを見て、ソ連も自国鉱区開発のため、1928年8月に「トラスト・サガレンネフチ(サガレン石油トラスト、ロシア語: Трест <Сахалиннефть>。以下「トラスト」)」を設立した。ソ連は日本から採油機器を購入の上、自己生産の原油を日本へ輸出することを希望し、1928年(昭和3年)9月に原油売買契約を締結。これに基づき1929年(昭和4年)からトラスト産原油が輸入され、最盛期には輸入量が年間10万トンを超えた。しかし、ソ連がハバロフスクに製油所を建設し独自の精製能力を手に入れたことや日ソ関係の悪化から、1937年(昭和12年)を最後にトラストからの購入は終了した。 なお、日本が探鉱で石油の埋蔵を確認したにもかかわずソ連が生産を認めなかったエハビ油田では、トラストだけが生産を行った。エハビ油田は、オハ油田の生産が落ち込む一方で増産を続け、1945年には北樺太における採油量の7割を占める51万トンを生産するに至った。そして戦後さらに生産が伸び、1988年には年間260万トン、累計生産量が1億トンに達した。
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